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ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー1 [Van Morrison]

最近、「The Best Of Van Morrison~ザ・ベスト・オブ・ヴァン・モリソン(1990年)」というベスト盤を聴いて、ヴァン・モリソンに興味を持ちました。
ただ、どこから聴いたらよいかわからず、アマゾンなどのレビューを読みつつも、まとまったものが読みたいと思いましたが、ネットで「ヴァン・モリソン ディスコグラフィー」と検索してもなかなか良いものが見つかりませんでした。
というわけで、僕と同じような思いをされている人のために、過去にヴァン・モリソンの特集を組んだ雑誌の中からアルバム・レビューをとりあえず転載し、日を追って僕個人の感想を追記していきたいと思います(そんなに聴き込んでいない状態だということをご了承ください)。

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「Astral Weeks~アストラル・ウィークス(1968年11月)」

アストラル・ウィークス.jpg

<モリソンにとっての新しい出発となった、とても意義深いアルバム「アストラル・ウィークス」は68年11月に発表された。ゼムの頃からの知り合いでモリソンをニューヨークに連れ出したバング・レーベルのオーナー、バート・バーンズが67年12月に急死。そのためモリソンはフリーになってしまい、ジョン・ペインらと3人で東海岸の小さなクラブをまわっていた。そんなモリソンをワーナーの社長ジョー・スミスが認め契約し、その第1作として本作は68年夏に、わずか二日間でレコーディングされた。プロデューサーはルイス・メレンスタインだ。8時間ずつの2回のセッションで出来上がったものだが、それにも関わらず、ロックの枠では収まり切れないスケールの大きな音楽であり、大いに注目を集めた。また、レコードのA面に“イン・ザ・ビギニング”、B面に“アフターワーズ”とタイトルが付けられ、モリソンの個人史的な趣もある。
音楽的にはアコースティックな音で、リチャード・デイヴィスのアコースティック・ベースが終始鳴り続け、全体をリードしている。A2(②)ではクラシカルなギターやジョン・ペインのフルート、それにヴァイブも加わり、ロックとは違った音になっているし、B1(⑤)になるとジャズの雰囲気が漂う。ここで聞かれるモリソンの若い頃の歌声には、喉の奥に力を入れて出すような粘りがある。そして、とても丁寧に歌っており、その奥に静かな炎を感じる(RC・山岸伸一)>
次に発売された「ムーンダンス」と本作のどちらを上位に推すかはファンにとっては究極の選択だ。ミュージシャン集めにも大いに寄与したルイス・メレンスタインをプロデューサーに、ジャズ畑のリチャード・デイヴィス(ベース)などを中心にしたグループと精神的な語らいを続けるようにヴァンの歌は展開していく。リズムもメロディもあまり限定することなく即興的に展開していくヴァンの歌のスケールに改めて惚れ惚れする1枚だ(ST・大鷹俊一)>

[目]
世間的に、専門家筋では、ヴァン・モリソンの最高傑作は本作だとされています。英誌「MOJO」が1995年に選んだ「The 100 Greatest Albums Ever Made」では2位、米誌「ローリングストーン」が1987年に創刊20周年企画として、「1967~1987年に発表されたベスト・アルバム100選」で7位、2003年に選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」では19位とヴァン・モリソンのアルバムでは最上位にランクインされています(このアルバムの知名度に比べたら、他のアルバムはロック・ファンなら誰しもが知っている、聴いている、持っているという有名作品ばかり)。
そう、確かに本作は傑作アルバムであることは間違いないのですが、ヴァン・モリソンのアルバムとしては異色の作品とも言えるため、「これが代表作だから、これを聞いてヴァン・モリソンの音楽の好き嫌いを判断」してもらっても困るのです。
次作「ムーン・ダンス」で早くも、本来の(?)ヴァン・モリソンの音楽の特質が開花するのですが、キャリア全体で見れば、ヴァン・モリソンの音楽は楽曲として非常に作り込まれたものが多いように思うのです。
時にジャズ、ソウル、R&B、ブルースなどのフレイヴァーを取り入れつつも、完璧なポップ・ソングを作ろうとする意識を感じます。
実際、僕がリアルタイムで初めて聴いたのは「Enlightenment~エンライトンメント(1990年)」ですが、当時、インディー系のサウンドを好んでいた僕としては、音質もクリアーでしたし、「何だか完璧に作り込まれていてつまらない」と思って、すぐに中古屋に売ってしまったほどでした…(それ以降は最近になるまでヴァンの音楽は聴いていませんでした)。
しかし、上述のレヴューにあるように、本作は僅か2日間でレコーディングされただけでなく、参加したジャズ畑のミュージシャンらにも演奏の指示は皆無だったようで、楽曲自体も即興的に作られたもののように感じるのです。どこかで読んだところによると、「ヴァンの弾き語りの上にジャズ・プレーを重ねていった」そうですが、逆にジャズの演奏の上にヴァンが即興的に歌を重ねていったように感じる曲すらあります。
いずれにせよ、当時、わずか23歳のヴァン・モリソンが練りに練って、こうした即興的なフィーリングの曲を書いた可能性は…さすがにないと思いますが、結果的にはわずか23歳の青年が即興的に時代の趨勢に耐えうる音楽を作ったことは凄いとしか言いようがありません。
そんなわけで、本作は、聴き込むことのできるリスナーには受け入れられるアルバムですが、割とイージーに聞いている人にはあまり受け入れられないアルバムかもしれません。もちろん、聴き込むタイプのリスナーでも「これが、あのヴァン・モリソンの代表作」というキャッチ・コピーがなければ、聴き込まないかもしれない。
そういうタイプのアルバムといえるかもしれません。
ヴァン・モリソンとしては「異色の作品」と上述しました。
ただ、これはヴァン・モリソンの別面というよりも、これもヴァン・モリソンの音楽の重要な要素と言えるものなのです。
それにしても、ワーナーも、いかに過去にヒットさせたキャリアを持つヴァン・モリソンと言えども、よくもこうした非商業的ともいえるアルバムを移籍第1弾として発表したものだと思います。まあ、当時はビートルズのサージェント・ペッパー等、実験的な音楽がもてはやされていたから可能だったのかな、とも思います。
ちなみに本作発表の前にヴァン・モリソンのソロ・アルバムは存在します。上述のバング・レーベル時代の楽曲を集めた「Blowin' Your Mind~ブローイン・ユア・マインド(1967年)」がそれですが、デヴィッド・ボウイの実質的1stアルバムが「スペース・オディティ」とされるように、ヴァン・モリソンも「アストラル・ウィークス」がそれに相当されているのが一般的ですが、バング・レーベル時代のそれには全米トップ10ヒットとなった「ブラウン・アイド・ガール」といったヒット・シングルもあります。
そもそも、僕に今回、ヴァン・モリソンに強い関心を抱かせたベスト盤の前半にはゼム時代の曲が2曲、そして、その「ブラウン・アイド・ガール」が収められていて、それらに強い印象を受けたことも事実ですし、その若かりし頃のヴァン・モリソンのヴォーカルはまるでミック・ジャガーのようであり、「アストラル・ウィークス」にも若干、その名残りが残っていますが、その後、ミック・ジャガーとはヴォーカル・スタイルが大きく変わりました(ミック・ジャガーは「ストーンズ」という立場上、変わるに変われなかったという面もありますが)。
「アストラル・ウィークス」はゼム時代の楽曲や「ブラウン・アイド・ガール」の、いかにも60年代風のヒット・シングルといった趣からは一気に飛躍した音楽が奏でられます。

個人的評価 ★★★★☆

「Moondance~ムーンダンス(1970年3月)」

ムーンダンス

<このタイトル曲を久しぶりに聞いてると、スティングが「ナッシング・ライク・ザ・サン」あたりでアルバム2枚に渡って大袈裟にやってたことが、4分半で見事に凝縮されて描かれていることに改めて感動させられる。
彼が最初の高みに達する充実しきった時代の幕を鮮やかに開けるかのように、70年初めに発表された3枚目のオリジナル・アルバムであり、小ヒットとなった「イントゥ・ザ・ミスティック」、いまだにステージでも人気の高い名曲「キャラバン」などが含まれているという点でも忘れられないものだ。
基本的には、彼のストレートでソウルフルな歌声をフィーチャーしたアルバムであることに変わりはないけれど、B4(⑨)の「エヴリワン」のようなフルートをフィーチャーした曲や、カリブ的な雰囲気を持ったB5(⑩)あたりが変化球といった感じで入っているのが印象的。逆にA3(③)やB3(⑧)のような女性コーラスを使ったソウル・レビュー的なものは、やっぱり最も彼らしく聞き手を熱くしてくれる。
そしてやはりハイライトは、冒頭で触れたタイトル・ナンバーだろう。特に見事なのはジャズ的なモチーフを基調とした構成と、曲の進行に従って変化するバックの演奏と自在に絡んでいくヴォーカル。その完成された世界は、ヴォーカリストしてだけじゃなく、ソング・ライター、プロデューサーとしての熟成を下敷きとすることによって初めて得られるものなのだ(RC・大鷹)>
完璧なアルバムはある。聴くたびにそう思わされる究極的な一枚。アメリカに渡ることを決意させたバート・バーンズの急死によって行き場を失ったヴァンを誘ったのはワーナーで、短時間で作った「アストラル・ウィークス」に続き発表された本作には、自身の方向性に音楽的な確信を得てスケール大きな歌を聞かせる姿がくっきりと残されている。ギターのジョン・プラタニアを初めとして東海岸の腕利きミュージシャンたちが固めたバックもニュアンスに富んだ演奏で素晴らしいし、ヴァンの書いた曲も粒ぞろいのひと言。
そして、完璧な曲はある、と言い切りたいタイトル・トラックをはじめとしてライヴで人気曲「キャラバン」、狂おしいほどの思いを柔らかい歌声で聴かせる「クレイジー・ラヴ」、彼のテーマともなった「イントゥ・ザ・ミスティック」と並ぶアナログA面があまりに凄すぎるせいでやや印象は弱いのだが、もちろん後半も無駄な曲は一つもない。一番長い曲でも5分ほどと今の基準では短い曲ばかりなのに、その一つ一つに凝縮された魅力はどれほど言葉を費やしても語り尽くせない。ロック、ジャズ、ブルースといったスタイルを超えたヴァンの世界がすでに熟成の極みに達した傑作だ(ST・大鷹)>

[目]
「良い音楽は好きですか?」と問いかけ、すべての音楽ファンに一度は聴いてもらいたいヴァン・モリソンらしいアルバムです。
冒頭の2曲はヴァン・モリソンと意識して聴いたのは初めてですが、いずれもどこかで必ず耳にした事のある曲ではないでしょうか。
本作が発表された1970年頃と言えば、ビートルズの「Let It Be」だったり、ツェッペリンの3rdだったり、ストーンズの「Sticky Fingers」だったり、それらがサウンド的にも古典とも言える感触なのに対して、本作はジャケットのアート・ワークも含めて古臭さは全く感じられません。
前作でジャズ・ミュージシャンが多数参加、そして本作でもタイトル曲の印象が強いせいか、ジャズっぽいと捉えてしまいがちですが、アルバム全体を普通に聴くと、ロック、ジャズ、ソウル、ブルース、R&Bなどの融合に成功していると言えるでしょう。
ヴァンのソウルフルなヴォーカル、多用されたホーンの使い方からして、一言で言うなら、ヴァン・モリソン’sソウル・ミュージックというのが的確かもしれません。
前作が創作の自由を手に入れて、ヴァンの積もりに積もった音楽のヴィジョンを勢いで発散した(?)のに対して、本作ではジックリと彼の音楽性が練りこまれ、万人受けするように消化(昇華)させたように思います。

個人的評価 ★★★★★

「His Band And The Street Choir~ストリート・クワイア(1970年9月)」

ストリートクワイア

<60年代後半から70年代の初頭にかけて、ヴァンがワーナーから発表したイースト・コースト3部作(と筆者が勝手に命名している)の完結篇。このアルバムの後、ヴァンはイースト・コーストからウェスト・コーストへと移り住み、カリフォルニアのマリン・カウンティを彼自身のカレドニアと定め、新たなる音楽活動を展開するようになる。
本作は、イースト・コースト3部作の中でも、前2作の「アストラル・ウィークス」や「ムーンダンス」と比べて、楽しげでリラックスした内容のアルバムという印象を受ける。ここでヴァンは、独自の音楽スタイルをひたむきに追求したり、自分の心の中に深く分け入ったりするというよりも、気のあった音楽仲間と一緒に、大好きなリズム&ブルースの演奏を楽しんでいるという感じだ。
ヴァンは、「ムーンダンス」を発表した後、ウッドストック暮らしを始めるようになり、そこに住むミュージシャンと交流する中で、次第に彼の“バンド・アンド・ザ・ストリート・クワイア”を作り上げていった。テンポのいいA1(①)やB1(⑦)から、メロウで官能的なB3(⑨)、それにゴスペル調のB5(⑪)まで、どの曲でも和気藹々とした演奏が楽しめる。ヴァンのヴォーカルもいつもよりは肩の力が抜けているようだ。A6(⑥)やB2(⑧)のエチュード風の作品も、そうした全体の流れの中に上手く収まっている(RC・中川五郎)>
<良い意味で究極的な緊張感に包まれていた前二作に比べると遥かにリラックスした姿が窺える作品。これはヴァンがウッドストックに居を移したことと大きく関連があるわけだが、どっしりと土に根を生やした歌の中にもこれまでになかったような“引き”が感じられ実に味わい深い。代表曲の一つと言っていい「ドミノ」に始まりディープなナンバーからお得意の即興的なものまでのびのびと歌を綴っていく姿に聴き手も溶け込んでしまう(ST・大鷹)>

[目]
前作から僅か半年後に発表された。
上のライターたちが「和気藹々とした演奏」「リラックスした姿」と記しているが、そういう先入観を持って聴くと確かにそうかもしれないと感じる。
ヴァンがやりたかったことを勢いに任せて(?)発散した「アストラル・ウィークス」の後に、シッカリと熟成させて完成した「ムーンダンス」を発表できたことに満足し(?)、自分のスタイルを確立したことを祝って(?)、「和気藹々と」「リラックス」して作られたのかもしれない。
サウンド的には前作の延長線上にありますが、各曲は全米トップ10ヒットとなった①などを除いてはやや小粒な印象です。
あと、元々、ヴァンのヴォーカルはミック・ジャガーに似たところがあるのですが、⑤なんかは曲調、ホーンの使い方、女性コーラスなどソウル風の曲を演っていた頃のストーンズのようです。

個人的評価 ★★★☆

さて、ワーナー時代の3作品をまずは紹介しましたが、実はこの3作品が現在、最も容易に入手できるアルバムなのです(他が容易に入手できないってのが問題ですが…)。
これら3作品は2008年のリマスター盤(国内盤)が¥1800で普通に売られていますし、リマスター以前のCDなら中古で¥1000以下で容易に手に入れることもできます。
しかし、これ以降のポリドールから販売されているものは、2008年のリマスター盤が紙ジャケット・SHM-CD使用で¥2800のため、値段的にも高いし、初回限定生産のため手に入れづらいのです(といっても、まだ入手困難だったり、中古品にプレミアが付いているわけではありませんが)。
おまけに、リマスター以前のCDもあまり売れず市場に出回らなかったせいか、中古品もやや希少のアルバムも多いのです。
そして、2008年のリマスター盤再発は3回に分けて行われたのですが、第3弾で発売された(はずの)「Poetic Champion Compose~ポエティック・チャンピオン・コンポーズ(1987年)」や「Hymns To The Silence~オーディナリー・ライフ(1991年)」や「Saint Dominic's Preview~セント・ドミニクの予言(1972年)」といったヴァンの「傑作」と評される初回限定の紙ジャケ・リマスター盤がどこを探しても全く見当たらず(ネットも中古盤屋も)、「熱心なファンの予約注文だけで完売したのか!?それほど、このヴァン・モリソンの紙ジャケ再発は好評だったのか!?」と思ってしまいましたが、この紙ジャケ再発の第3弾は販売中止になってしまっていたようです!(売れ行きが悪かったのか…)。
さて、困った。
「セント・ドミニクの予言」は前回のリマスター時のCDをレンタルすることができましたが、「ポエティック~」と「オーディナリー~」はどこのレンタル屋にも在庫はない上に、リマスター以前のCDの中古品もほとんど見かけず、アマゾンではプレミアが付いてしまっているほどです。
それにしても、ポリドールの今回のリマスター盤再発は発売順序の年代もバラバラで、中古品も安価で入手しやすく、リマスターの必要性があるのかと思うような90年代以降のアルバムが第1&2弾で発売されていたのですから、ファン泣かせというか、よく多くの人に自らの音楽を聴いて欲しいであろうヴァン泣かせです。
「オーディナリー~」に関しては、リマスター前の国内盤がヤフー・オークションで¥2800円(即決¥4000)で出品されているのを初めて見て、「これを買い逃したら、しばらく買えないかも!」と慌てて即決価格の¥4000で落札しましたが、翌日、中古盤屋で¥1400で売られているのを見ました…。
「ポエティック~」はリマスターの輸入盤の中古品を¥3500ほどでアマゾンで購入しました(基本的に僕は国内盤派なのに輸入盤の、まして中古品で¥3500も支払うとは…)。
まあ、これらの評価が高いアルバムは無理して購入するのも納得がいくのですが、評価があまり高くない「Beautiful Vision~ビューティフル・ヴィジョン(1982年)」のリマスター輸入盤に大金を払う気があまり起きません…。リマスター前の国内盤でもアマゾンで¥3000以上します。
この辺の事情はボブ・ディランのリマスター再発と多少似ていますかね。
1991年にボブ・ディランの旧譜はすべてCD再発されましたけど、近年のリマスター再発において、過去の再発CDがすべて廃盤になった上に、すべてのアルバムがリマスター再発されていないため、評価の低いアルバムほど以前の再発時に市場に出回らなかったせいでプレミアが付いてしまっていて入手困難という…。

さてさて、今回はワーナー時代の3作品を紹介しました。ヴァン・モリソンを聴いてみたいという人は、まずは「ムーンダンス」を、あるいは「アストラル・ウィークス」と同時に聴いてみることをお薦めします。
でも、最初に聴くうえで、一番のお薦めは個人的な体験もありますが、「ザ・ベスト・オブ・ヴァン・モリソン(1990年)」でしょうかね。こちらのCDも既に廃盤なのですが、リマスター前の1990年盤でしたら中古で¥1000くらいで容易に手に入りますし、日本盤は簡単な解説が付いているだけで日本語対訳が付いていないので、輸入盤でも十分かもしれません(英詞はオリジナル・ブックレットに記載)。ちなみにこのベスト盤はヴァン・モリソンのアルバムで最大のセールスらしいです。

ベスト・オブ・ヴァン・モリソン.jpg

アーティストによって、ベスト盤で聴いてもまったく良さが伝わらなかったり、ベスト盤だけ聴けば十分だったり、入門盤としてまずはベスト盤を聴いて、その後、各アルバムを掘り下げて聴いてみた方が良かったりします。
ちなみに個人的にはローリング・ストーンズのベスト盤「Rewind 1971-1984~リワインド 1971-1984」を中学時代に聴きましたが、良さがまったくわかりませんでした(中学時代の耳ではアルバムを聴いても良さがわからなかった可能性がありますが…)。他にブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロやスティーヴィ・ワンダーやプリンスといったアーティストのベスト盤を聴いても、あまり良さは伝わらないように思いますが、逆に、ボブ・ディランやデヴィッド・ボウイやザ・キュアーといったアーティストは入門盤としてベスト盤をお薦めします。
あくまでも個人的な見解ですが。

「ヴァン・モリソン・ディスコグラフィ」
第2弾 第3弾 第4弾 第5弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾
おまけ

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー2 [Van Morrison]

前回(その1)で、ワーナー時代の3作を紹介しましたが、今回はそれに続く3+1作を取り上げます。

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。


「Tupelo Honey~テュペロ・ハニー(1971年)」

テュペロハニー.jpg

<アメリカ黒人音楽の洗礼を受けた60年代のイギリス周辺のミュージシャン達は、自分の内側に育んだアメリカという幻想に、それぞのれ方法で向き合っていったが、ヴァンもまた、そんな旅に出発した若者の一人だった。
ゼム解散後にアメリカに渡って発表した彼の初期の作品には、新しい環境の中で得ただろう様々なエモーションの揺れがスリリングに刻まれているが、とりわけ本作のタイトル曲B1(⑥)は印象的なものだった。次第に熱っぽさを増していく愛の歌なのだが、僕には、ここでの“彼女”というのが、ヴァンにとっての“アメリカ”であるように聞こえてしょうがない。エルヴィス・プレスリーの生まれ故郷がテュペロという町だと思い起こすまでもなく、そうしたイメージを喚起させるだけの力を持ったスケールの大きい名曲だと、言い切ってしまいたい。
日差しの中で恋人とジャネットと佇む美しいジャケット写真そのままに、穏やかで安らいだ表情に満ちたアルバムだ。ウッドストックでの暮らしを綴ったA3(③)、ワルツで軽くキメたA2(②)とB2(⑦)など、始まったばかりの幸福をかみしめているような曲が多い。A1はシングル・ヒットもした。
若き日のヴァンの姿を映し出した牧歌的で素晴らしいこのアルバムも、ちょうど20年前の作品になる。その間、長い旅を続けてきた彼にとって本作は、束の間の休息だったのかもしれない(RC・小尾隆)>
<馬に乗った妻ジャネットと陽光あるれる森の小道を往くカヴァー写真がすべてを物語る、幸福感に満ちたアルバムだ。ウッドストックからサンフランシスコのマリン・カウンティに引越し、平和な“アメリカ”を体感したのにも由来するのだろうが、ソウルやカントリーへの視線や“彼女への愛”に疑いがない。その分、ヴァンの音楽特有の厳しさには欠けるきらいもあるが、音楽で伝えられる“美しさ”が凝縮されている(ST・和久井光司)>

[目]
女優で歌手でもあったジャネット・プラネットという美妻との新婚生活の中で作られた幸福感のヴァイヴで満たされたアルバムで、ジャネットもコーラスで参加している。わざわざアルバム・ジャケットで二人のツー・ショット写真を使うなど、そうした満ち足りた私生活を営んでいて、ダークで不幸感のあるアルバムなんて作りようがないのだから当然か。
恋は盲目というか、「ユア・マイ・ウーマン」では「あなたは僕のサンシャイン、僕を導く光」という陳腐なフレーズが熱唱される。
サウンド的には、これまでの延長線上のヴァン’sソウル・ミュージックと言えるのですが、ホーン・セクションが「ワイルド・ナイト」くらいにしか入っていないため、いわゆるソウル色が減り、代わりにカントリー色がかなり入っています。そして楽曲はも粒ぞろいです。
ちなみにポリドールの再発は紙ジャケット初回限定生産ですが、このアルバムだけ同じSHM-CD使用で、通常のプラ・ケース一般販売もされています。
このアルバムだけ限定生産にすべきでない名盤という位置づけなのか、紙ジャケかどうかで¥1000差ある価格設定(限定生産)でどのくらいの売り上げの違いがあるのかというサンプルを取りたかったのかどうかはわかりません。

個人的評価 ★★★★

「Saint Dominic's Preview~セント・ドミニクの苦言(1972年)」

セントドミニク.jpg

<ウッドストックでのロビー・ロバートスンとの交流、そしてサンフランシスコ北部にあるマリン・カントリーでの充実した生活の賜物として、ヴァンは名作の誉れ高い「テュペロ・ハニー」を71年に発表した。彼は、ソロになってからは優れたR&Bシンガーであり、ポップ・シンガーでもあろうとしてきたが、その方向性は「テュペロ・ハニー」で一応の完成を見たと僕は考える(黒っぽさにポップな活気とインパクトを重畳する作業が見事に完成されたのだ)。
で、ソロ通算6作目にあたる、この「セイント・ドミニクス・プレヴュー」から、(教会の入り口前で、あらぬ方向を見つめているジャケット写真に象徴されるように)彼はより内なる自己を掘り下げ、それを雄大に表現しようとし始めるのだ。そして、この奥行きのあるソウルフルな路線は、今日の彼のあり方の出発点なのである。11分8秒に及ぶA4(④)や10分3秒のB3(⑦)、そしてタイトル曲B1(⑤)での魂の彷徨ぶりには、今聞いてもあっさりと心を奪われてしまう。移民である彼は、ソロ・デビュー以来持ち合わせているジャズ的センスを活かした軽快な演奏とソウルフルな歌声とのこの見事な組み合わせを、自ら「カレドニア・ソウル」と名づけたのである。
全曲本人の作品で、テッド・テンプルマンとの共同プロデュースによるサンフランシスコ録音。ロニー・モントローズやジョン・マクヴィ、マザー・アースのマークナフタリンがゲスト参加(RC・小林慎一郎)>
<アイルランドとアメリカの関係を、音楽の面だけではなく、文化全般や宗教も含めて考察するヴァンの孤高が完成されたアルバム。自らの音楽をカレドニア・ソウルと呼ぶようになったのは東海岸、西海岸の生活を経て感じた“アメリカ”との距離に、移民としてのアイデンティティを再確認したからに違いない。11分を超える④、約10分の⑦が内包する深さ、尊さには、人間が持ちえる“スケール”を考えさせられたりもするのだ。その一方で、軽快なホーン・セクションが曲の持つグルーヴを華やかに演出する①のような“ソウル・レビュー風”をものにしているのもいいところで、アルバムとしての構成は実に見事。現在まで一貫して続くヴァンの魂の彷徨が露わになった、非の打ちどころのない作品である。共同プロデューサーはテッド・テンプルマン。「アストラル・ウィークス」や「ムーンダンス」も素晴らしいが、ヴァンを初めて聴く人はここから入るといいだろう(ST・和久井)>

[目]
最近のリマスターに合わせて発売されたベスト盤「スティル・オン・トップ」の冒頭曲でもある、ソウル・ナンバーの「ジャッキー・ウィルソン・セッド」で軽快に幕を開けます。上の和久井氏はヴァンを初めて聴く人に、このアルバムを薦めていますが、いかにもソウルと言った♪タララッタッタタラララーというコーラスや②の♪ラ・ラ・ラ・ラ・ライライライライといった70年代風のコーラスは日頃、J-POPしか聞いていない若いリスナーは拒絶反応を起こす可能性もあります。
個人的に、レンタルで借りたCDをi-podに入れただけで、歌詞カードがないため、残念ながら歌詞を見ながら「魂の彷徨ぶり」や「人間が持ちえるスケール」を味わうことはできませんが、「アルバムとしての構成は実に見事」と言うように、レコードで言うA面を軽快な曲で幕を開けた後、10分を超える重厚な曲で締め、B面はタイトル曲で始まり、これまた10分を超す曲で占めるアルバム構成はアルバム作りの王道とも言えるでしょう。
ちなみに「カレドニア」とは、ブリテン島北部のローマ帝国支配下に入らなかった地域の古称のようです。よくヴァン・モリソンの音楽を「アイリッシュ・ソウル」と称しますが、「カレドニア・ソウル」とほぼ同義と考えてよいでしょう。

個人的評価 ★★★☆

「Hard Nose The Highway~苦闘のハイウェイ(1973年)」

苦闘の.jpg

<70年代前半のヴァン・モリソンを語る上で、決して無視できないのがジャネット・プラネットの存在だろう。歌手であり女優でもあったジャネットとヴァンが出逢ったのは、彼がまだゼムのヴォーカリストとしてアメリカをツアーしていた時のことだが、70年のアルバム「ストリート・クワイア」あたりから、彼女の存在がクローズ・アップされ始め、続く71年の「テュペロ・ハニー」などは、全体的に二人のアルバムといった雰囲気が濃厚に漂っていたりした。とはいっても彼女はヴァンの音楽にコーラスで参加する程度で、創作活動の中心にまでは関わっていかなかったようだが、当時の彼の大いなる精神的支柱となっていたことは否めない。
ところが73年に二人は離婚してしまう。そうした最中に作られたのが本作で、具体的に別離が歌われたりしていないものの、どこか忍び寄る憂愁が感じられる。音楽的には邦題「苦闘のハイウェイ」から受ける印象ほど暗くはなく、むしろ「テュペロ・ハニー」、72年の「セント・ドミニクの予言」で培ってきた路線をゆとりを持って広げている。念願の自分のスタジオも完成し、これまた念願のカレドニアン・ソウル・オーケストラの陣容も整い、ヴァン・モリソンとしては充実度100パーセントで挑んだアルバムのはずだが、それにしては少々集中力に欠ける仕上がりとなっている。その理由をジャネットとの別離に求めるのは、穿ち過ぎた見方だろうか(RC・中川五郎)>
<自身のスタジオが完成し、カレドニア・ソウル・オーケストラなる念願の大所帯バンドも組織、しかし一方ではジャネットとの離婚というトラブルもあり、もうひとつアルバム作りに集中できなかったようだ。邦題「苦闘のハイウェイ」がイメージするほどの暗さはないが、前作の充実度と比べると一段劣るのは否めない。ジャネットに代わるコーラス嬢としてジャッキー・デシャノンが参加しているのにも注目(ST・和久井)>

[目]
何とも奇妙なジャケットのアート・ワークである。これで少し損をしている気もするし、邦題に「苦闘」と付けるから余計に敬遠されがちとなる。そして、アマゾンのレビューで「1曲目が怖い」といったものがありましたが、確かに、そのゴスペル調の女性コーラスはちょっとした「怖い」雰囲気があります。ただ、この曲、楽曲構成において、ヴァンとしてはちょっと実験的な感じがしますね。
そして、実験的で「怖い」1曲目を終えれば、2曲目以降はスロー/ミディアム・ナンバー中心の「カレドニア・ソウル」の粒ぞろいの曲が満載です。
僕は年代もバラバラに遡って、ヴァン・モリソンのバック・ナンバーを聴いてきたので見過ごしがちでしたが、2曲目以降の楽曲群は、後のヴァン・モリソンの十八番ともいえる洗練された高品質なソウル・ナンバーの最初の完成を見たのではないでしょうか。

個人的評価 ★★☆

「It's Too Late To Stop Now~魂の道のり(1974年)」

魂の.jpg

<73年夏にアメリカ西海岸とロンドンで行ったコンサートから、18曲を収録し、74年2月に発表した白熱の2枚組ライヴ・アルバムだ。このコンサート・ツアーでは、ホーンにストリングスまで加えた11人編成のバック・バンド、カレドニア・ソウル・オーケストラを率い、各地で熱狂的な支持を受けモリソンの名声を高めたものとして知られている。
ここにはゼム時代のヒット曲D1(2枚目⑤)、D2(2枚目⑥)から、この年発表した「ハード・ノーズ・ザ・ハイウェイ」のA2(②)、B3(8)まで、モリソンの代表的な曲が並んでいる。そして、素晴らしい歌声が息の合ったバンドの演奏とともに、ライヴならではのノリで楽しめる。
たとえば、A3(③)、B4(⑨)、D4(2枚目⑨)といった曲は、ライヴの方がより輝いている。また、モリソンの敬愛する黒人シンガーたちの曲も取り上げられ、B2(⑦)、B5(⑩)、C3(2枚目③)のブルース・ナンバーをはじめ、レイ・チャールズのA5(⑤)、サム・クックのC1(2枚目①)、それにボビー・ブランドがが歌ったA1(①)は、アイリッシュ・ソウルたっぷりの熱唱で、モリソンの黒人音楽に対する思い入れの強さが表れている。
アルバムのタイトルは、アンコール・ナンバーのD4(⑨)を歌い終わり、モリソンが言ったフレーズから取られており、モリソンの心情を感じ取れる(RC・山岸伸一)>
<ホーン・セクションとストリングを含む11人編成のバンド、カレドニア・ソウル・オーケストラによる二枚組ライヴ。73年夏にアメリカ西海岸とロンドンで収録されたソースから18曲収録したものだ。ゼム時代のヒット曲から「苦闘のハイウェイ」収録曲まで代表曲がずらりと並び、ヴォーカリスト/バンド・リーダーとしての圧倒的な存在感を示した名作だが、録音はもうひとつ。リマスターに期待したい(ST・和久井)>

[目]
ライヴ盤は後回しのため未聴です。

ヴァン・モリソン ディスコグラフィ
第1弾 第3弾 第4弾 第5弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾
おまけ

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー3 [Van Morrison]

ヴァン・モリソンのディスコグラフィの第1弾第2弾につづく第3弾です。

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「Veedon Fleece~ヴィードン・フリース(1974年)」

ヴィードン.jpg

<ヴァン・モリソンは音楽的にも精神的にも常に闘い、前進しようとしている人だが、73年の「苦闘のハイウェイ」で見せた、解り易さへのアプローチはややイージーだった。結局、その万人受け狙い(?)は成果も上がらず、本人もその非を認めたのか、74年にはライヴ盤を発表し、流れを一度断ち切って、この「ヴィードン・フリース」で再び自己を掘り下げ、魂もまた叫び始めるのである。
アルバムはスウィング感たっぷりのA1(①)からスタートするが、どの曲も4リズムを基本とした、極めてシンプルでオーソドックスな演奏ばかり。だが、彼の闘争心がバンドを刺激し、結果としてサウンド全体に高いテンションと新しい響きが備わってきている。時おりストリングスやリコーダーが付け加えられるが、それらは効果的にヨーロッパ的陰影を醸し出す(B5(⑩)のリコーダーはヴァンにしては珍しくトラッド風味だ)。いずれにしても、各曲の中心は当然のことながら彼の歌であり、その荘重かつ激しい表情のめまぐるしい変化に各楽器の体温が見事に追随している様は聞いていて痛快ですらある。
ファルセット・ヴォイスやギターのハイ・ポジションが聞こえてくるA3(③)は盟友、ザ・バンドを思わせる。リズムを取り去ったかのようなB4(⑨)は彼にしては珍しい曲である。表面的には地味かもしれないが、実に深い味わいが潜んでいるアルバムだ(小林慎一郎・RC)>
<ヴァンが見せる穏やかな情景は、それもまた内部の精神の葛藤の表現と相まって、静かな迫力を感じさせる。彼が74年にライヴ・アルバム「魂の道のり」で一つの区切りをつけ、新たに自己と向かい合ったような印象を見せる「ヴィードン・フリース」は74年10月に九枚目のアルバムとして発表された。製作の発端は73年10月の故郷アイルランドへの旅。そこでのインスピレーションが反映され、レコードではA面の①~⑤では、彼自身の回想と夢想、そして神秘への探索が歌われている。とりわけ一曲目のジャズ・ワルツが魅力的。ストリングスやフルートも交え、アコースティックに彩られたバッキングに、彼の歌が熱く映える。レコーディングは74年にカレドニア・ソウル・エクスプレスを従え、ロンドンからダブリン、ヨーロッパ、アメリカと続くツアーの合間を縫って行われている。この後、彼は重度の麻薬中毒となり、しばらく北アイルランドでの療養生活を余儀なくされる(後藤秀樹・ST)>

[目]
前作「苦闘のハイウェイ」でヴァン・モリソンの「カレドニア・ソウル」の一つを完成させたかと思いきや、そこから再び逸脱する異質な作品でありながらも、ファンの間では「傑作」と誉れ高いアルバムです。
ホーン・セクションをなくし、アコースティック楽器中心にストリングスが絡み、どこかジャズ風な音作りで、ヴァンの生々しいヴォーカルが聴かれます。感触は「アストラル・ウィークス」に近いのですが、そこで見られた即興的な緊張感は(良くも悪くも)なく、シッカリと作り込まれています。
「アストラル・ウィークス」の欄で、「ヴァンの別面というよりも重要な要素」と書きましたが、「アストラル・ウィークス」や本作の評価が高いのは、ファンもヴァンの表の顔「カレドニア・ソウル」だけでなく、こうした裏の顔が出てくる瞬間をどこかで期待しているのかもしれません。
ただ、そうした「アストラル・ウィークス」のような異質感を醸し出しているのは、レコードでいうA面の①~⑤であって、B面はむしろ、どこか「テュペロ・ハニー」のようです。
いずれにせよ、アイルランドへの帰郷が本作に大きな影響を与えたことは間違いないでしょうし、実際、最終曲では初めて(?)アイリッシュのトラッド風のアレンジ(フルート)が聴かれます。。

個人的評価 ★★★★

「A Period Of Transition~安息への旅(1977年)」

安息.jpg

<“変遷の終わり”という意味深いタイトルを冠したこのアルバムは、前作「ヴィードン・フリース」から3年近くもの歳月を経て発表された。ほぼ1年毎のペースでコンスタントに新作を出してきたヴァンにとっては、異例の沈黙期間だが、その理由として、あまりにビジネス・ライクな音楽業界のシステムにうんざりしていたことが後年彼の口から語られている。表立った活動を一切控え、自分自身の生活を崩さなかったことは、恐らく彼の内側に新たな感情を呼び起こしたはずだ。
ドクター・ジョンことマック・レベナックとヴァンの二人によるプロデュースで進められたレコーディングは、曲の完成度よりもこのセッションの勢いと瞬発力を詰め込むことに力を注いでいるようだ。蓄積したエネルギーを一気に吐き出したヴァンの図太いヴォーカルを、レギー・マクブライドとオリー・E・ブラウンによるタフなリズム・コンビがガッチリと受け止めていることに驚かされる。歌とバックの関係が、かつてなかったほど大胆で、頼もしくなっているのだ。ドクター・ジョンの喜々としたピアノも伸びやかに泳ぎ回っているし、ホーンズの押しも気分を盛り上げてくれる。同時期にはロッド・スチュアートの「アトランティック・クロッシング」やフランキー・ミラーの「ハイ・ライフ」といった名作も生まれているが、それらと並ぶヴァン渾身の力作だと今でも僕は思っている。それにしてもB3(⑥)の疾走感は圧倒的だ(RC・小尾隆)>
<前作から三年の間をおいて発表された77年の十作目。彼の長いキャリアの中でも異例のリリース間隔だ。“変遷の終わり”というタイトルから、今でも彼の変化の象徴的な作品と受け止められている。共同プロデュースにドクター・ジョンを迎え、バックのメンバーも一新。英国録音ながら米国ミュージシャンを迎えるというこだわりも面白い。ニューオーリンズのソウルがヴァンの歌声と一体化して新たな魅力を生んでいる(ST後藤)>

[目]
ドクター・ジョンと組んだことによって、必然的にアメリカ南部音楽へと傾倒するサウンド&楽曲である。
後にポール・ウェラーやエルヴィス・コステロがアメリカ南部音楽にどっぷりと浸かったロックを披露し、「スワンプ・ロック」ともてはやされたが、ここでのヴァンは「スワンプ・ソウル」とも言うべき、泥臭いサウンド&楽曲が展開されている。
もちろん、黒人音楽フリークのヴァンなら、ここまで掘り下げることは必然とも言えるのですが、これまで培ってきた「カレドニア・ソウル」との距離は何なのかという気もする。まあ、音楽的探究心の強いヴァンですし、彼の長いキャリアにおいては、こうした作品が1枚くらいあっても良いと思いますけど、個人的には、あくまでも寄り道という扱いで、決して初心者が最初に聴く1枚ではないでしょう。

個人的評価 ★★☆

「Wavelength~ウェイヴレングス(1978年)」

ウェイヴ.jpg

<常に全身全霊を歌に傾けているといっても決して過言ではないヴァンにとって、充実とはなんだろうか。と、ふと考えてしまったりした。バックの演奏はゆったりとした空気を漂わせながら、ヴァンの高いテンションを暖かく包んでいるようだ。
78年の作品。ザ・バンドの「南十字星」と同じシャングリ・ラ・スタジオでの録音。プロデュースはヴァン自身である。
ゼム時代の仲間のピーター・バーデンズとガース・ハドスン、ふたりのキーボーディストの好サポートが光っている。「テュペロ・ハニー」の頃にも通じる軽快な渋みを感じさせるA1~3には、すでに、ヴォーカリストとして一つの高みを体験した者のみが放てる明快な光がある。セカンド・ライン風のリズム・セクションにピーターのハモンドとガースのアコーディオンが美しく絡むA4は、常に新の自分を求めてやまないヴァンにとっての“ゴスペル”のように思える。ちょっと「キャラヴァン」に似たメロディを持つA5や、鋭いギター・ソロも登場するアルバム・タイトル曲B1(⑤)でも自己の内部の葛藤の後の充実感うかがえる。
ジャッキー・デ・シャノンとヴァンの共作によるB2(⑥)や、8分余にわたる大作B4(⑧)ような朗々たる歌世界には、まず没入する以外にない。“変節の時は過ぎ、自らの光明を見出した”と歌われるB4(⑧)に至るまでのヴァンの心の内を思うと、どうしても胸は熱くなる(RC・湯浅学)>
<78年の作品。米西海岸マリブのシャングリラ・スタジオでの録音。前作とは逆に、今度は旧知の英国ミュージシャンが中心となってバックを務めている。特にゼム時代のピーター・バーデンスとザ・バンドのガース・ハドソンという二人のキーボードによる音の厚みは素晴らしい。また、マネージメントをビル・グラハムの会社へと変えている。そのせいか、実に軽快で気持ちのいい曲が並び、明るい印象の作品となっている(ST・後藤)>

[目]
「明るい印象」と言えば聞こえは良いが、本作をズバリ一言で言うなら、ジャケット・ワーク同様、「軽い」のだ。
後に記す「ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ」のレビューで、「今なお鑑賞に耐え得る音楽というのは驚くほど少ないのだが、ヴァンのアルバム群は数少ない例外の一つ。これも流行のサウンドやアレンジには色目を使わずに、ひたすら自己探求のみを行ってきた彼ならではのことだろう」とあるが、本作で耳に付くのは、当時の「流行のサウンドやアレンジ」に色目を使ったとしか思えない、今となっては古臭いシンセ音アレンジである。そして、当時、流行っていたレゲエも取り入れている。まあ、取り入れるのはよいのだが、アルバム冒頭から「軽い」と感じてしまったために、それもまた流行に色目を使ったのでは、と勘ぐりたくもなる。
そう、悪く言えば、今さらポップ・スターでも目指したのか!?と思えてならない。
レコード会社やマネージメントに唆されたのかとも思いますが、プロデュースはヴァン自身…。
アルバムを通して聴けば、曲自体は良いものもあるのだが、そう感じてしまったため、当初は最後まで聴く気すら起きなかった。

個人的評価 ★

「Into The Music~イントゥ・ザ・ミュージック(1979年)」

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<熱心なファンならご存知のようにリッチー・ヨークによって書かれたヴァン・モリソンの本のタイトルは、本作と同名の「イントゥ・ザ・ミュージック」だった。
音楽に魂をこめ続ける彼を表現するのに、最もふさわしい言葉だろう。そしてこの79年秋に発表されたアルバムも。実にこの言葉がしっくりとしてくる味わい深い作品となっている。“暗い街から飛び出して/日の当たる道で/もう一度恋人同士になろう”と、いつになく軽快な調子で呼びかけるオープイング・ナンバーが、まずこのアルバムを象徴する。
前作がシンセなどを使っていたのに比べると、ここでは殆どがオーソドックスな楽器でしめられ、しかも彼本来の歌の世界となっている。しかし70年代と違うのは、彼の内面的な世界を求めていっている店だ。
1曲目で通りに飛び出そうと呼び掛け、B2(⑧)ではそれが心を癒すためなのだと語りかける。もちろんここで熱心な聞き手は、彼の麻薬中毒の治療や自身のなかに抱えた神の世界との対話などを意識せざるにいられないというわけだ。彼が発表したなかでも最も自伝的な色彩の濃いアルバムだけに、好きなんだけれどいまだに聞くのがツラい瞬間のある作品。
A2(②)でライ・クーダーが参加してスライド・ギターを披露しているが、キャティ・キッスーンのサイド・ヴォーカルもいい(RC・大鷹)>
<奇しくもリッチー・ヨークが書いたヴァン・モリソンの本のタイトルと同じ「イントゥ・ザ・ミュージック」は79年の作品。前作にも似た明るさが特徴だが、ヴァイオリンやスライド・ギター、ペニー・ホイッスル等の楽器が活躍する様はトラッド風味を漂わせ、ホーンのアレンジは70年代前半の雰囲気を思い起こさせる。しかし、歌の中身は、曲調とは裏腹に自分自身の内側の葛藤と痛みを感じさせ、結構重くつらいものがある(ST・後藤)>

[目]
前作の「売れ線」路線でコケたことにウンザリしたのか、再び、ヴァン・モリソン’sソウル・ミュージック「カレドニア・ソウル」へと戻ってきました。
寄り道をしましたが、73年の「苦闘のハイウェイ」からの系譜を繋げました。
「俺のやりたいようにやらせろ」と作ってみたら、ヴァン・モリソンの集大成ともいえる完成度を誇ると共に、「売れ線」を狙った前作以上に、ある意味ではポップで売れるアルバムにすらなっています。
後のヴァンの代名詞とも言える洗練された高品質のソウル・ミュージックの完成形とも言えるものですが、当時は若さの勢いと円熟味の味わいを備えたちょうど良い絶妙の熟成期だったのかもしれません。
後の高品質の作品群がソウル基調一辺倒(?)になるのに対して、本作ではトラッド色も存分に取り入れているため、アルバムにメリハリがあって、初めて聴いても耳を奪われると共に聴いていて飽きさせません。
ただし、軽快でキャッチーな楽曲が並ぶ前半と打って変わって、後半は長く深いスピリチュアルな世界が広がり、この辺が次作に繋がるのでしょうが、これにもまた惹き込まれます。
これまで、初めて聴くなら「ムーンダンス」か、「アストラル・ウィークス」との同時聴き、最高なのは「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」と記してきましたが、本作もそのリストに加えられる、アーティスト、ヴァン・モリソンの一つの到達点。

個人的評価 ★★★★★

ヴァン・モリソン ディスコグラフィ
第1弾 第2弾 第4弾 第5弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾
おまけ

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー4 [Van Morrison]

ヴァン・モリソンのディスコグラフィも第1弾第2弾第3弾に続いて、早くも第4弾です(第5弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾 おまけ)。
ヴァンほどの大物アーティストを、こんな急ぎ早に聴いて、急ぎ早にレヴューを書いてよいものかとも思いますが、まあ、僕のレヴューはおまけのようなものですからね。

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「Common One~コモン・ワン(1980年)」

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<数多いヴァン・モリソンのアルバムの中でも80年に発表した「コモン・ワン」は、かなり異色な内容といえる。全6曲のうち15分を超える長い曲がA2(②)、B3(⑥)とふたつあり、この2曲が全体を象徴している。
本作のタイトル・テーマとなったA2(③)では、ワーズワースやコウルリッジ、ブレイク、エリオットといったアイルランドの文学者を歌い込み、モリソンの独特の語り口で次々に言葉が発せられる。4拍子と3拍子のパートで構成される曲は、ストリングスを入れたり、ソウルっぽい感じのホーンを使っている。終わりの部分で歌われる“静寂に耳を傾けなさい”というフレーズが印象的だ。
そして、もうひとつのB3(⑥)は、はっきりとしたメロディやリズムがあるわけではなく、歌うというより寧ろ祈りにも似た唸るような声に、ベースやフルート、ギターがスピリチュアルな雰囲気に合わせて即興的に伴奏をつけている感じの曲だ。よほどモリソンに心酔する人でなければ面白いとは思わないだろう。
ともにモリソンの魂を解放し救済するメッセージが込められ、それを十分に伝えようとして曲が長くなってしまったように思える。このように宗教的な色彩は、A1(①)やB2(⑤)にもあり、静かだが、情熱のこもった伝道師のような姿が浮かんでくる。
そんななかでB1(④)は、唯一息が抜けるポップな曲だ。洗練されたソウル・バラードと言える。レコーディングは南フランスで行われた(RC・山岸伸一)>
<素敵なジャケットなのだが中身はそれほど簡単ではない。ヴァンの中でももっとも宗教的なメッセージ色の強い一枚で、祈りとも言いたくなる最後の曲⑥が邦題で「開眼のとき」とつけられたことが端的にそれを示す。とはいえ、英やアイルランドの詩人、文学者達を歌い込んだ「サマータイム・イン・イングランド」やヴァン流のソウル・バラード魂が全面展開する「ワイルド・ハニー」のような曲があるから聴き逃せない(ST・大鷹俊一)>

[目]
ヴァンの「宗教3部作」の第1弾です。といっても、赤岩和美氏によれば、前作「イントゥ・ザ・ミュージック」を含む「宗教4部作」とのことですが、個人的には、前作を聴いていてあまり宗教性を感じなかったので本作からとします。
15分超の2曲を含む全6曲というアルバム構成が異質性を際立たせているのでしょうが、もっとも「セント・ドミニクの予言」でも10分超の2曲を含む全7曲でした。まあ、そちらには3分くらいの軽いポップ・ソングが何曲か収められていましたが…。
本作は、さながら「プログレ・ソウル」といった感じで幕を開け、と言っては大袈裟で、実はそれほど身構えることなく聴けるアルバムだと思います。
最近はYouTubeで聴いたり、i-tunes Storeなどで曲単位で買って聴いたりする人が多く、アルバム単位で聴く人が少なくなっているようですが、普通にアルバム単位で聴ける人は、楽曲自体も良い曲が多いので問題なく楽しめます。全体的にファンキーなテンポの楽曲が多いように感じますが、スローなファンク・ナンバーの②は15分にも及ぶ曲ながら、いつまでも聴いていたいと思わせる。
たまたま長い曲が多いだけで、逆に言えば、その分、ヴァンの世界にどっぷりと浸かれるわけです。
でも、さすが「祈り」とも言えるエンディング曲だけは冗長に感じる。

個人的評価 ★★★

「Beautiful Vision~ビューティフル・ヴィジョン(1982年)」

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<82年に発表した「ビューティフル・ヴィジョン」は、ロンドンに居を構えたモリソンが、アメリカ西海岸のソーサリートのレコード・プラントでレコーディングしたもので、何といっても、モリソンがアイルランドを強く意識したA1(①)が特筆される。
ユリアン・パイプを使ったA1(①)でのケルトへのこだわりは、次作でも「ケルティック・スウィング」と続き、さらに、チーフタンズと共演してアイリッシュ・トラッドを歌った「アイリッシュ・ハートビート」へとつながっていく。その「アイリッシュ・ハートビート」で、A1は再演されているところからも、モリソンのなかでの重要さがわかる。
といっても、他の曲はケルティックではない。ジミー・ロジャースやレッドベリー、マディ・ウォーターズなどを聞いて育ったと歌うB1(⑥)は、モリソンの自伝的内容の曲だ。
変わったところでは、アリス・ベイリーの「グラマー/ア・ワールド・プロブレム」という本を下敷きにして作ったA3(③)、B3(⑧)があり、この2曲とB4(⑨)がヒュー・マーフィとの共作になる。
三つのセッションが行われ、それぞれバック・ミュージシャンの顔ぶれが違うが、B1(⑥)3(⑧)ではマーク・ノップラーのギターが聞かれる。A3(③)でのマーク・アイシャムのトランペットもなかなか面白い。B5(⑩)はモリソンのピアノをフィーチャーしたインスト曲だが、歌がないとつまらない(RC・山岸)>
<当時のヴァンが興味を持っていた音楽的な要素、ミュージシャンらをドンドンと盛り込んでいったアルバム。当然、この時期らしい宗教色の強い内省的な部分は大きいのだが、自伝的要素やケルト・ミュージックへの取り組み、マーク・ノップラーのゲスト参加など、あまり深く考えずに接しているとそれなりにバラエティに富んでいるのは感じられるはず。それがやや散漫と捉えられることがあるかもしれないのだが(ST・大鷹俊一)>

[目]
個人的に本作は、前作と次作を聴いた後で聴きました。というのも、それらは今回の紙ジャケ・リマスター・初回限定生産の第2弾として販売されたため、CDレンタルすることができたのですが、本作は販売中止となった第3弾販売予定の作品で、入手がやや困難だったのです(単にレンタルで済ませなかっただけですが)。リマスター前の輸入盤だったら安価で手に入れられますが、リマスター前の国内盤及びリマスター後の輸入盤は共に廃盤となっていて既にプレミアが付いてしまっている上に、前作及び次作は、上述そして後述するように、ヴァンとしては異質な作品だったため果たしてプレミア価格を払ってまで買う価値があるのか、と若干躊躇していましたが、幸い、「ケース難あり」とのことでリマスター輸入盤を中古盤屋で¥650で手に入れることができました。
前作&次作を聴いていただけに、おまけにジャケット・ワークからして次作を連想させたので、あまり期待せずに聴いたのですが、予想に反して、サウンド自体は、それらの「異質」さからは遠い、80年代後半の作品へと繋がるヴァン・モリソンの王道とも言える「カレドニア・ソウル」路線でした。
後述しますが、洗練された80年代中盤・後半のそうした作品がやや物足りないのに対し、本作では楽曲自体が良いのか、耳に残る曲が多く、実際、ヴァン自身が選曲したというベスト盤「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」に前作&次作の曲が1曲も入っていないのに対して本作からは2曲も入っています。

個人的評価 ★★☆

「Inarticulate Speech Of The Heart~時の流れへ(1983年)」

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<1980年代に入って、モリソンの音楽はひときわ内省的なものへと変化していったけれど、そんな中で最も鎮静した、穏やかな表情をたたえているのが本盤。この盤が出る直前に、宗教的な理由からモリソンが引退する…という噂が伝わってきたことともあいまって、ぼくも当時けっこうおセンチなレビューをいくつかの場所で書いたものだ。恥ずかしい。
アイリッシュ・トラッドの要素を盛り込んだ、広がりのあるインスト曲を随所にはさみながら、モリソンが落ち着いた歌声を聞かせる。宗教家としても知られる様々な詩人の名前などを織り込みながら、淡々と、しかし確かな情熱を込めて歌われるA5(⑤)など、その崇高な美しさに圧倒されてしまう。すでにモリソンはぼくのような無宗教/無信仰の人間には理解できない境地を、ひとり浮遊しているかのようだ。ここで歌われるスピリチュアルな概念に全面的に共感できるわけでもないが、でも、このアルバムがたたえた穏やかさと美しさに感動せずにいられない。
B3(⑧)のように、曲作りの面でR&B的なニュアンスがくみ取れる作品もあるが、アレンジや歌声に力づくの黒っぽさはない。カケラもない。なのに、やけにソウルフル。聞く者の、心の奥に響いてくる。デビュー以来20年の歩みの中で彼が達した彼なりの、彼だけのゴスペルの世界がここにある(RC・萩原健太)>
<ヴァンの歴史の中でももっとも宗教的な方向に心が向いた時代を象徴する一枚。彼が引退するという噂(ニュース)が流れたのもこの頃で、確かに随所で強い宗教色は聴かれるし、「ケルティック・スウィング」などと名づけられたアイリッシュ的な要素も含んだインストが間に挟み込まれることで統一感はさらに高まっている。そこらが当時は過剰に反応されたりもしたのだが、長いヴァンの歴史の一場面と捉えたとき、ここでの魂の安らぎが80年代後半から90年代にかけての充実期の土台となったこともわかる。
ロンドンをはじめレコーディングはあちこちで行われているが全体に流れるテイストは一貫しており、それが高い精神性をも感じさせる。W・B・イェーツをはじめとした詩人、宗教家たちに語りかける「レイヴ・オン、ジョン・ドン」のような曲を聴いていると改めて彼との距離を感じてしまうが、それが気高い魅力を生み出す原動力の一つであることも再認識できる作品だ(ST・大鷹俊一)>

[目]
シンセ音がちょっと気になりつつも、なかなかの佳曲で幕を開け、「いいじゃん」と思っていると、インスト曲が続く。そのような感じで序盤はヴォーカル曲とインスト曲が交互に収録され、インスト曲のシンセ音が妙に気になって最初はあまり聴く気が起きませんでした。といっても、そうしたインスト曲にはアイリッシュ・テイストが備わっており、古きものと新しきものの融合を試みたのかもしれませんが、個人的にはどうも80年代的なサウンドが普遍性を削いでしまっているような気がして残念でならない。
「宗教3部作」と言えば、ボブ・ディランも有名です。ディランの場合は改宗宣言して、音楽も大幅にゴスペルを取り入れたり、歌詞内容も露骨なものでしたが、モリソンの「宗教3部作」の場合は何故、そこまで忌避されるのかわかりません(リアル・タイムで聴いていなかったので、当時の事情がよくわかりません。ちなみに当時のボブ・ディランはライヴでも宗教作品以外の過去の作品を封印していたほどです)。
元々、日本人は多神教の宗教観を持ち、独特の高いモラルを有してきましたが、戦後、「無宗教こそ進歩的」という共産主義の影響を無自覚に受けつつも、「植民地」根性丸出しでアメリカに憧れ、キリスト教的価値観を無自覚に受け入れながら、少しずつ本来の日本人の精神を破壊してきました。
モリソンもアメリカに憧れて渡米するわけですが、アメリカでの生活を経て、自らのアイデンティティであるアイリッシュや宗教に回帰したのが、この辺及びこの後の音楽活動に影響を与えているように思います(日本社会及び日本人もその時期に来ている…やや手遅れながらも)。
さて、「無宗教」を教義とする共産主義の影響か、はたまた一神教の宗教観に違和感を感じる日本人本来の宗教感覚だかわかりませんが、とかく日本人は「宗教的(キリスト教的)」と称される作品を毛嫌いする傾向があるようです(そうした看板がなければ、キリスト教的な価値観を無自覚に受け入れてしまう無防備さもあるのですが…)。
ディランの「宗教3部作」は歌詞内容も極めて宗教的でしたが、サウンド自体はなかなかの力作でしたし、モリソンの場合は果たしてそれほど宗教的か、と思うような作品で、個人的にはむしろ本作のようにシンセ音が大々的にフィーチャーされた80年代風のサウンド自体に距離感を感じます。
そういえば、ディランの「宗教3部作」はジャケットにディラン自身が写っていないことが論じられますが、モリソンの「宗教3部作」も何故かモリソン自身が写っていないのは偶然か。
いずれにせよ、楽曲自体は良い曲もあるアルバムです。

個人的評価 ★☆

「Live At The Grand Opera House Belfast~ライヴ・アット・グランド・オペラ・ハウス(1984年)」

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<この盤が出たときも、ぼくはモリソンの引退をまだ信じていた。くそ。引退騒動のさなかに発表された前作のリリース時期、1983年3月にモリソンの生まれ故郷、ベルファストで収録されたライヴ盤だ。
前作とほぼ同じ顔ぶれによるヴァン・モリソン・バンドがバックアップしている。それだけに、全体の印象は地味。かつてLAとロンドンで収録されたホットな2枚組ライヴとはがらり変わって、あくまでも穏やかだ。A6(⑥)でちょっとリズミックに迫っても、名曲B1(⑦)でまたぐっと落ち着いた展開へと舞い戻る。とにかくこれが当時のモリソンの姿なのだろう。垢にまみれたロック・シーンを離れて故郷に根をはり、自分が本当に信じられる音楽だけを歌い続けるんだ…という決意を、ライヴ・アルバムという形を借りて宣言した1枚なのかもしれない。地元の観客もそういった展開に対して心から熱狂的に拍手を送っているようだ。
ただ、リミックスのせいなのか、なにやら音像全体が寒々しい気もする。安易にミックスされたFMのライヴ中継番組を聞いているみたい。なんだか腰のない、一体感の希薄なサウンドが感動をそぐ。モリソン入門者が聞いたら、本来のモリソンのすごさを認識できないまま終わっちゃいそう(RC・萩原健太)>
<ヴァンとしては二枚目となるライヴ・アルバムで83年3月11・12日に北アイルランド、ベルファストで録音された。カレドニア・ソウル・オーケストラに通じる大編成での公演だが、オープニング「イントゥ・ザ・ミスティック」以外はマーキュリー移籍後のアルバムからで、残念ながら選曲的には面白くない。もちろん歌、演奏ともに高いクオリティで満足なのだが、それでもライヴ盤ならではのサービスが欲しかった(ST・大鷹)>

[目]
ライヴ盤は後回しのため、これまた未聴。

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー5 [Van Morrison]

ヴァン・モリソンのディスコグラフィの第5弾です。

第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾
おまけ

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「A Sense Of Wonder~センス・オブ・ワンダー(1984年)」

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<84年に発表した「センス・オブ・ワンダー」には、驚かされることがいくつかある。
まず、ほとんど自作曲で通してきたモリソンが、ここではレイ・チャールズのA5(⑤)やモーズ・アリソンのB3(⑧)を取り上げていることだ。さらにB4(⑨)となると、ウィリアム・ブレイクの詩にマイク・ウェストブルックが作曲し、後半は詩の朗読である。A3(③)ではモリソンは歌わずにハミングしている。
また、B1(⑥)2(⑦)は、アイルランドのトラッドとロックやジャズを融合させた先進的なバンド、ムーヴィング・ハーツをバックに起用しており、インスト曲のB2(⑦)はムーヴィング・ハーツが主役といってもいい。ちなみに、この時のムーヴィング・ハーツは、クリスティ・ムーアも辞め解散の直前だった。デイヴィ・スピランのユリアン・パイプがいかにもアイルランドらしい音を聞かせている。
全体的に言えるのは、宗教的な色合いが薄れたことだ。精神世界に遊んでいたモリソンが、再び身近な人間の世界へ戻ってきたような安心感をおぼえる。スピリチュアルな雰囲気はA3(③)、B4(⑨)あたりに残ってはいるが、それは自然に出てきたもので、誰でも共感を得られるはずだ。
A1(①)2(②)、B5(⑩)など、どれもがわかりやすい曲で、モリソンの歌声もかつてのゼムの頃を思い出させる若々しく張りのあるものだ。B3(⑧)の懐かしいオルガンの音もその感じを出している(RC・山岸伸一)>
<アイルランドの先駆的ロック・バンドだったムーヴィング・ハーツと⑥⑦⑧で共演するなど母国への思いを募らせながらも、レイ・チャールズの⑤やモーズ・アリソン⑧を取り上げるなど自らのR&Bルーツも除かせたバランスの良い好盤だ。インストゥルメンタルの⑦やウィリアム・ブレイクの詩を朗読するというスポークン・ワーズの手法を用いた⑨もアルバムに奥行きを与え、ヴァンの穏やかな境地を伝える(ST・小尾隆)>

[目]
「宗教3部作」を作り終え、再び、俗世界に戻ってきたという位置づけのアルバムか(ボブ・ディランでいうところの「インフィデル」のような)。
ただ、当たり前のことですが、だからと言って、モリソンもディランもそこから無宗教に転じたわけではありません。自己の内面と向き合い、アイデンティティや宗教にも思いを馳せ、魂の彷徨を終えて、目の前の靄が晴れてきたようなものでしょう。内省の旅に出て、トンネルに入り、トンネルから出たら、一段階成長して元の世界に戻ってきたといった感じで、そうなると再び自然体で音楽と向き合うことができ、それがサウンドにも表れている気がします。
僕は特定の宗教に入信したりしたこともないですし、出自も純粋な日本人なのですが、それと似たような経験を持っているだけに、「目の前の靄が晴れた」感覚はよくわかります。
まあ、日本のレコード会社的にも、音楽評論家的にも、「宗教嫌い(?)の日本のファンの皆さん、もうモリソンから宗教色はなくなりましたよ」と訴えたいのでしょうか。上のレビューでも「全体的に言えるのは、宗教的な色合いが薄れたことだ。スピリチュアルな雰囲気はA3(③)、B4(⑨)あたりに残ってはいるが、それは自然に出てきたもので、誰でも共感を得られるはずだ」と宗教色を否定することに躍起になっている気がしてなりません(?)。
内容の方はサウンド的には前々作で完成させた「カレドニア・ソウル」路線に戻ってきました。
レイ・チャールズらのカヴァー曲があることが「驚き」のようですが、おそらくそれまで宗教色の強い(?)曲に多く向き合っていたために、純粋に音楽を楽しむことを再確認するために自らのルーツを歌ったのではないかと思いますし、前作ではシンセを使ってアイリッシュ・トラッド風の曲を演ったりしていましたが、本作ではその悪夢を振り払うかのように、ムーヴィング・ハーツと共に生の楽器で⑦で再挑戦しています。
そんなわけで、モリソンの「宗教3部作」からのリハビリというようなアルバムとも言えますし、ヴァンの穏やかなヴォーカルと共にサウンドのクオリティも高いのですが、どこか全体的に印象の薄いアルバムか。

個人的評価 ★★

「No Guru,No Method,No Teacher~ノー・グールー、ノー・メソッド、ノー・ティーチャー(イン・ザ・ガーデン)(1986年)」

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<83年以降のヴァンは、もはや孤高と呼ぶ以外にない歌手生活を送っている。本作は86年の作品。カリフォルニアとロンドンでレコーディングされている。プロデュースはヴァン自身。デイヴィッド・ヘイズ、クリス・ミシー、ビアンカ・ソーントンらのレギュラー・メンバーに加えて、若手のドリーム・アカデミーのケイト・セント・ジョンがオーボエ等で冴えたプレイを聴かせている。さらにかつての仲間のジェフ・レイブスやジョン・プラタニア、テリー・アダムスらの久々の参加もある。
望郷の念がじっくりと歌われるA1(①)。アメリカからの離脱か。既成のロック・ミュージシャンなどとははるかにかけ離れた表現を成し遂げてきたヴァンの、音楽産業への引導渡しか。ハーモニカとのハーモニーが印象的なA3(③)、闊達な絡みが宴を想起させるA4(④)、どちらもホーン・セクションが独自の快楽を醸し出している。しかし明朗なA4(④)でも、図々しい“やつら”に対する苦言はしっかりと盛り込まれている。
A5(⑤)、B1(⑥)は、宗教的なものではなく、自然との対話としての瞑想による自己の浄化について歌ったもの。ゼムの代表曲をもじったタイトルのB2(⑦)や故事を盛り込んだB3(⑧)、俗事に惑わされるなと歌うB5(⑩)では、精神の充実こそが人生を切り拓くと力強く訴えられる。静かなる佳品B4(⑨)のさりげなさに故郷アイルランドへの深い愛情があふれている(RC・湯浅学)>
<アルバム表題が歌い込まれる⑤が新たな名曲となり、以降ライヴの場でもクライマックスに設定されることが多くなったという意味でも忘れがたい作品だ。前作同様のたおやかさを湛えつつも曲のクオリティは本作の方が遥かに高く、すべての曲をヴァンは書き下ろしている。演奏にしてもソウル音楽のグルーヴを包み込むような優しさのなかで表現するという新境地を開拓し、新たな飛躍を予見させる力強い傑作となった(ST・小尾)>

[目]
サウンドは基本的には前作の延長線上の高品質「カレドニア・ソウル」のようですが、前作よりも落ち着きが増し、渋みが増しています。すっかり完全に「大人の(ための)音楽」となった感で、ソウル・ミュージックというよりは、ポピュラー・ミュージックというような佇まいです(ソウル風のホーン・セクションがほとんどなくなったからですが)。
冒頭曲の第一声から、おそらくヴァンのヴォーカルに円熟味を感じたのは最初の瞬間かもしれません。
以前までは熱くなってくるとミック・ジャガーのヴォーカルと似てくるようなところがありましたが、いつの間にか、似ても似つかない円熟味を増したヴァン・モリソンのヴォーカルへと変化してきました。
ソウルを超越したモリソンの新境地を開く力作だと思いますし、冒頭曲や「イン・ザ・ガーデン」といった曲の持つ力も圧倒的ですが、個人的には何故か心に引っ掛からないアルバムです。
相変わらず高品質なサウンドだけど、何かが足りない、魔法が解けてしまったかのようにも思えていたのですが、それはたぶん、ソウル・ミュージックっぽさ(情熱的なパッション)が薄れてきたから、そう感じたのかもしれませんが、聴き込みが甘いせいもあるため、「傑作」と言い出す日もあるかもしれません。

個人的評価 ★★☆

「Poetic Champions Compose~ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ(1987年)」

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<掛け値なしに美しい音楽が詰まっている。この、ごく自然に内側から湧き出る美しさは、ピュアという言葉が本当にぴったりくるし、この声、音の響きは、真にスピリチュアルなものだ。だから、静かでもとても力強いのだ。
前作とはメンバーをガラッと変えての録音だが、アコースティックで透明感のあるサウンドに大きな変化はない。独自の音世界が完成しているというわけである。モリソンは、ピアノ、サックス、ギターと三つの楽器も担当しているが(ジャケットのイラストが可愛い)、特にサックスは、A1(①)、B1(⑥)6(⑪)の3曲のインストで大々的にフィーチャーされている。
アルバムのトップとラストをインストにするとは、ソロ・シンガーのアルバムとしては大胆なものだが、彼のサックスは、全く違和感なくソウルフルな歌声として届いてくる。まず歌う(奏でる)べきメロディがあり、それがモリソンのサックスを通して、空中に舞い上がっていくという趣だ。
ストリングスも素晴らしいA1(①)もスローな曲で心に染みるが、それは全体に言えること。歌の素晴らしさは改めて言うまでもない。精神性や宗教的な色合いを胡散臭いと見るむきもあるだろうが、A2(②)4(④)、B2(⑦)等々、信ずべきものをみつけたものが待つ、落ち着きや安心感が溢れ、聴く度に心が洗われる。まさにヴァン・モリソンだけの世界なのだ(RC・小出斉)>
<80年代に登場した音楽のなかで、今なお鑑賞に耐え得る音楽というのは驚くほど少ないのだが、ヴァンのアルバム群は数少ない例外のひとつ。これも流行のサウンドやアレンジには色目を使わずに、ひたすら自己探求のみを行ってきたかれならではのことだろう。「コモン・ワン」のジャケットさながらに、なだらかな丘陵をただひたすら歩いていくようなその音楽は、結果的に時代を超える輝きを得たのである。のちに映画「ブリジット・ジョーンズの日記」に挿入された⑦や、シングル・カットもされた⑩を初めて聴いたときのみずみずしい感動は、今も忘れられない。
本作でヴァンはピアノ、サックス、ギターを自分で担当している。おそらくは自分の肉体を通して楽器を奏でる喜びを、彼は歌うことと等しく身近に感じていたかったのだろう。終曲⑪での震えるようなアルト・サックスはどうだろう。音楽の女神が技巧ではなく、たどたどしい演奏に微笑んだ瞬間の記録である(ST・小尾隆)>

[目]
販売中止となったリマスター・紙ジャケ・初回限定シリーズの第3弾予定のアルバムだったため、手に入れるには、これまた廃盤となっていた(?)リマスター輸入盤の中古品を¥3500ほど出して買う羽目になりました。
さて、サウンドの方は完全に前作の延長線上と言って良いでしょう。ソウル・ミュージックというよりはポピュラー・ミュージックという佇まいで、より完成度も上がりどこか貫禄が増したようにも思います。そして、貫禄が増した分、余裕すら感じます。
そして、力作でありながらも、どこか心に引っ掛からない前作でしたが、本作にはどこか惹かれるものがあります。それが何かよくわからないのですが、おそらく本作には前作にはない軽やかさがあるからだと思います。
ただ、いかにも「80年代風の大人の音楽」という感じがギリギリのところである。
それにしても、人間はこうも急激に老けるかという写真を思い切ってジャケットにわざわざ使ってきたな、と思います。魂の彷徨という精神的負担となる苦闘の日々を長年過ごすと一気に老化が進むのかどうかわかりませんが、これからは音楽だけ勝負するという決意なのかもしれません。

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個人的評価 ★★★☆

「Irish Heartbeat~アイリッシュ・ハートビート(1988年)」

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<アイルランド屈指のトラディショナル・バンド、チーフタンズとモリソンが正面から組み合った88年のアルバム。もちろんモリソンの歌の背景には、どんなときでもアイルランドの伝統が脈々と息づいているけれど、あからさまな形でそうしたものに向き合ったことはなかった。そうした積年の課題の素晴らしい回答ともなっているのが本作である。
「時の流れへ」で発表したタイトル・ナンバーのA2(②)とB3(⑧)だけがモリソンのオリジナルで、あとはトラッド・ナンバーをアレンジしたものばかり。そしてヴォーカルもモリソンだけじゃなくチーフタンズのメンバーがリードをとったものや、メアリー・ブラックなどバッキング・コーラスが活躍するものも目立つ。しかし、全体から伝わってくるのは、あくまでもモリソンの肉体を通過した強烈なアイルランドという土地の香りなのだ。
A4(④)やB2(⑥)で聞ける黒人音楽的な意味とも微妙に違うディープでソウルフルなヴォーカル、B3(⑦)で聞かせる変形しきったスキャットのようなフレージングなど、彼が心からこのプロジェクトを楽しんでいるのが伝わってくる。
またチーフタンズも単独のアルバムではありえないリズムの表情やニュアンスの豊かさを聞かせてくれ、心に残る。“枯れる”というと年寄りくさいし淋しい気がするが、大きな魂が大地に還っていく風景を見ているような気分にさせてくれる作品だ(RC・大鷹俊一)>
<アイルランドの伝承音楽を伝えるチーフタンズと相まみえた念願のコラボレーション作だ。ダブリンのウィンドミル・レーン・スタジオで行われたセッションにはメアリー・ブラックやジューン・ボイスもコーラスに加わり、パディ・モロニーによるイーリアン・パイプやティン・ホイッスルの哀愁漂う響きとともに、ヴァンのなかに眠っていたアイリッシュネスを後押しする。全編に音楽する心が詰まった温故知新盤(ST・小尾)>

[目]
ヴァン・モリソン&ザ・チーフタンズ名義で発表された正真正銘の異色作であるため、何ともレビューしにくいアルバムです。
ヴァンの作品は、これまでのアルバムに収録された「アイリッシュ・ハートビート」「ケルティック・レイ」の2曲だけであり、これをザ・チーフタンズと共に再録していて、残りはすべてアイルランド民謡です(もちろん、ヴァン風に仕上げている曲もありますが)。
これまで、アイリッシュ・テイストを取り入れてきたヴァンだけにいつかは作る必要性を感じていたかもしれませんし、前作が時代の潮流に乗った(?)サウンドを持つアルバムだっただけに、自らの根底に流れるルーツに向き合う必要があったのかもしれません。
本作は、一言で言うなら、トラッド好きならたまらないだろうし、そうでない人にとっては大して聴く気も起きないアルバムであるかもしれない。
僕は、ジャズ・テイストなどを融合したような音楽は好きですが、本格的にジャズは聴きません。
僕にとって、本作はそういうアルバムです。
あ、ちなみに本作は88年発表時の国内盤を苦労して手に入れましたが、日本語対訳なしでした…。

個人的評価 ★☆


ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー6 [Van Morrison]

ヴァン・モリソンのディスコグラフィの第6弾です。

第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第5弾 第7弾 第8弾 第9弾
おまけ

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「Avalon Sunset~アヴァロン・サンセット(1989年)」

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<マーキュリーからポリドールへの移籍第1弾。前作「アイリッシュ・ハートビート」でのトラッド志向はやはり一過性の企画ものだったようで、この「アヴァロン・サンセット」は見事にオーソドックスなヴァン・モリソンぶりを聞かせてくれる。で、かつ、彼の数多い作品の中でも最も穏やかな気配が漂うアルバムである。我々は彼に対してやたら「ソウルフル」という常套句を使いがちだが、「ソウルフル」という人間の状態あるいは唱法は、攻撃的で性急的であることがあることが多い。だが、ゼムでデビュー以来、二十余年歌い続けてきたヴァン・モリソンは「ソウルフル」をも突き詰めれば、穏やかさや優しさに解体できることをこのアルバムで見事に証明している。そして、僕はこの入魂(ソウルフル)と穏やかさとの関係は、あのエンヤの在り方に共通するものを感じてしまうのだ。
クリフ・リチャードがゲスト参加しているA1(①)は、一聴するとごく一般的なポップ・チューンのようだが、タイトルからもわかるように神に対する敬虔な想いを歌ったゴスペルで、以降の曲もすべて宗教的な側面を持っている。そんな中で、ストレートなラヴ・ソングとも解釈できるA4(④)はMOR寸前のそれっぽさもあるが、とにかくひたすら感傷的な気分にしてくれる名曲だ。そして続く朗読調のA5(⑤)のゆったりした、包み込むようなタッチには、いつまでも浸っていたいくらいだ。名盤である(RC・小林慎一郎)>
<クリフ・リチャードと軽やかにデュエットする①で幕を開ける本作は、幾度目かの絶頂期への助走となった。旧友であるジョージィ・フェイムが新たにバンドに加わり、音楽監督としての役割を果たすことになったことで、音楽にフレッシュな空気が戻ってきたことも大きい。そして愛する者に優しく問いかけ、人生の意味を探求するバラード④の慈愛に満ちた響きは、ヴァンとともに歳月を重ねてきた人々への贈り物となった(ST・小尾隆)>

[目]
冒頭、軽やかなピアノのフレーズを聞いただけで、「何か違う」と感じる。
もちろん、「違う」とは、良い意味でだ。
ポリドールに移籍したからか、前作でアイリッシュ・ルーツを思う存分発揮できたからか、本作には何か吹っ切れたように穏やかなヴァン・モリソンがいる。
上記レヴューで久しぶりに「MOR(気軽に聴ける親しみやすいポップミュージック)」という言葉を目にし、そこから「AOR(20歳以上の大人向きなロック音楽。騒々しさを抑えた都会的でイージーリスニングやMORに近いロック)」という言葉も久しぶりに思い出した。上記で「MOR寸前」とMORであることを否定しているが、何故かと言えば、そういうレッテルを貼られるとロック・アーティストとしては死をも意味されるものであったからでしょう。ただ、僕は前々作で完成させたヴァンの路線はAORと言っても言い過ぎじゃないように思います。
そして、本作ではそうしたAOR路線の経験をも糧にして、これまでのヴァン・モリソンの集大成かつ今後のサウンド・スタイルを決定付けるようなアルバムになったように思います。
良くも悪くも90年代以降のヴァンのアルバムは、時にいろんなジャンルのテイストを取り入れたり、重厚になったり軽くなったり、洗練されていたり泥臭くなったりしつつも、本作(及び次作)で確立されたサウンドを踏襲している気がします。まるで90年代以降のプリンスのニュー・アルバムが高品質でありながらも驚きを与えてくれなくなったように、ですが、プリンスに求められていたものとヴァンに求められているものは違いますからね。
ちなみに上述のレビューにある④「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」は前々作の「サムワン・ライク・ユー」と同じようなサウンドであり、レヴュアーが触れてはいませんが、宗教色も多少あります。そうした宗教色すら自然体で表現できるようになったということでしょう。
近年の大人向け(?)の音楽から、より幅広い層へも訴えることのできる開かれた音楽へと深化したことによってか、全英アルバム・チャートでは13位とヴァンの最大のヒットとなりました。
それにしても、わずか42分ほどで全10曲。相変わらず、この辺の頑固なアナログ感覚が物足りないと感じる若い人も多いのかもしれませんが、個人的にはこれくらいでもちょうど良いと感じる。

個人的評価 ★★★★

「The Best Of Van Morrison~ザ・ベスト・オブ・ヴァン・モリソン(1990年3月)」

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<89年にヴァンのエグザイル・プロダクションとポリグラムが全世界配給権を結んだことから、90年にリリースされたデッカ(ゼム)~バング~ワーナー~カレドニア・プロ(エグザイルに改名)のキャリアをまたいだ音源で編集された作品。
サントラのみの収録曲「ワンダフル・リマーク」が目玉だった。ヴァンのアルバム中、最も売り上げの多い作品で、イギリスでは一年半もチャートインした(ST・赤岩和美)>

[目]
第1弾の冒頭で述べたように、僕が今回のヴァン・モリソン三昧のキッカケともなったアルバムです。
冒頭は傑作「イントゥ・ザ・ミュージック」のオープニング曲でもある「ブライト・サイド・オブ・ザ・ロード」で軽やかに幕を開けますが、次にゼム時代の代表曲である「グローリア」へと続いたことが個人的には大きかったです。
以前、述べたように僕のヴァン・モリソン原初体験の印象は「洗練され過ぎていてつまらない」というものだったため、ここで80年代以降の曲が続いていたら同じような印象を持ったかもしれませんが、いきなり若々しい荒々しいシャウトを聴かされたため新鮮だったのです。
そして、ジャズ・テイストを取り入れた代表曲「ムーンダンス」へと続き、そしてまたゼムの曲、次に洗練された「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」、そして「ブラウン・アイド・ガール」へという流れで一気に惹かれました。
前作のスマッシュ・ヒットによって、一般のリスナーの関心を引いたのか、全英4位というヴァンのアルバムとしては初めてトップ10ヒットとなりました。
とにかく、初めて聴く人にお薦めです。
あ、そういえば、ファンに人気のある「サムワン・ライク・ユー」はこのベスト盤にも、続いて出されたVol.2にも入っていません。

個人的評価 ★★★★☆

「Enlightenment~エンライトンメント(1990年10月)」

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<これはいいアルバムだ。80年代に入ってからのヴァンのアルバムには、一種近寄り難い宗教色も強く感じていただけに、音作りに親しみ易さが戻ってきた本作は、正直言って、とてもうれしい。
大仰で思わせぶりなスタイルを洗い直し、もっとナチュラルですっきりとした演奏を心がけたことが手に取るように伝わってくる。①などがその典型的な例だが、前作から引き続いて参加しているジョージー・フェイム(元ブルー・フレイムズ!)のグルーヴィーなハモンド・オルガンや、ブラッシングを多用しながら軽めのリズムをステディに叩き込むドラムスは、演奏に爽やかな風通しを与え、重くなりがちなヴァンのヴォーカルをしなやかに舞い上がらせている。
ビートそのものは60年代のフォーク・ロック的であったり、ジャズ的だったりと、決して新しくはないのだが、まわりの空気を自然に震わせていくような、シンプルでニュアンス豊かな表現が素晴らしく新鮮だ。①②⑥~⑨にその成果は、端的に現れている。ヴィブラフォンやハーモニカあるいはナイロン弦を張った生ギターの使用も、柔らかな情感を漂わせることに成功したようだ。
歌の世界はいつも通り、詩的な広がりを感じさせる。かつての「クリーニング・ウィンドウズ」を思わせる回想的な①と⑦では、ヴァンに先立つ偉大なミュージシャン達の名前も並んでいる(RC・小尾)>
<ウィルソン・ピケットやジェームス・ブラウンなどソウル・シンガーの名前と歌詞を畳みかけるように歌いこんでいく①が終わると、その余韻を噛み締めるようにアルバム表題曲の②(“啓発”という意味)が静かに始まる。その流れがヴァンの長いキャリアを凝縮しているように思える傑作アルバムだ。ハミングバード出身のバーニー・ホランドが①⑥⑨で渋いギターを弾いている。なお⑤の続編は次作に収録された(ST・小尾)>

[目]
近作の好チャート・リアクションによって、すっかり精神的に余裕が生まれたのか、とにかくリラックスして音楽を楽しんでいるヴァン・モリソンがいます。
前作でソウル色が薄いと感じたのか、冒頭曲から典型的なホーン・セクションとソウル・ビートが弾けるなど、前作よりもソウル風の曲が増えています。
そして、本作も勢いそのままに全英チャートで5位。
実は、初めに述べたように、僕はこのアルバムをリアル・タイムでCDを買って聴いていますが(たぶん、雑誌で絶賛されていたから)、当時はインディー系のサウンドを好んでいたため、「洗練され過ぎていてつまらない」と感じたものです。まあ、60~70年代のソウルを齧るのも、その後のことでしたし、それから大人になったのか、こうしたサウンドの良さがよくわかるようになりました。最近は、当たり障りがない、と言っては言い過ぎですが、ロン・セクスミスだとかジャック・ジョンソンだとかレジェンダリー・ジム・ルイーズ・グループだとか、そういうサウンドを好んでよく聴いたりもします。
そんなわけで気づけば、ヴァンのアルバムの中で最も好きなアルバムの一つにもなりました。アルバム全体でサウンドに統一感があり、キャッチーなサウンドを持つアルバムです。
あと、当時は気にもしていなかったのですが、今回、「ジョージー・フェイム」という名前を目にしてとても懐かしかったです。というのも、彼のベスト盤を持っていて、以前、彼の代表曲「YEH YEH」(1966年全英1位)が頭にこびりついて、よく口ずさんでいました。すると、ジョージー・フェイムなんかとても知らないような知人が何気なく口笛で奏でていたのは「YEH YEH」で、無意識に伝染ったのでしょう。
ちなみにジョージー・フェイムもヴァン・モリソン同様、ブルー・アイド・ソウル・シンガーでした。

個人的評価 ★★★★

「Hymn To The Silence~オーディナリー・ライフ(1991年)」

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<“静寂への讃歌”というアルバム表題そのままに、人生の秋を受け止めているヴァンの姿がディスク2枚に亘って雄大に繰り広げられている。そのことに以前から変化はないのだが、音の輪郭は80年代に比べると格段にシェイプアップされ、少ない音で多くを伝えるといったスモール・コンポの美学が隅々にまで行き渡っている点が素晴らしい。ジョージィ・フェイムとの手合わせもこなれてきた様子で1枚目⑤や2枚目②などのじゃジーナ展開にフェイムの好みが反映されている。
再度、チーフタンズと共演した1枚目⑥では、レイ・チャールズのヴァージョンを下敷きにしつつアイルランドの響きを持たせるという異種交配ぶりが見事だし、1枚目⑨、2枚目⑤⑥に聴けるゴスペル~トラッド的な包容力は、ひとつの到達点かもしれない。なお、本作でのギター・パートはすべてヴァン本人によるものであり、特に長尺曲1枚目⑩における歌と対話するが如く雄大に繰り広げられていくオブリガードには、何とも言えない味がある。けっして流麗ではなく、むしろ不器用さ丸出しの運指なのだが、それゆえに音楽に真実味を与えている。ともあれヴァンのピークを描ききった90年代の大傑作と言えば本作だ(ST・小尾)>

[目]
2枚組大作とか「90年代の大傑作」とかいうキャッチ・フレーズに身構える必要はありません。
前作&前々作(オリジナル盤)では、「穏やか」とか「リラックス」といった表現が似合いましたが、それらの好セールスにすっかり気を良くしてか、余裕を持つことができたか、本盤ではそれらを上回るくらいに、気負いの欠片もなく、自然体で自らのやりたい音楽を演っています。勢い余って(?)、レイ・チャールズの超有名曲「愛さずにはいられない」まで演っているくらいです。
2枚組でなければ表現し切れなかったというコンセプト・アルバムではなく、自然体でやりたいように楽しんで演っていたら、2枚分くらいの曲が溜まってしまったという感じです。
それまでのヴァン・モリソンの集大成であると同時に、今後のサウンドを確立した前作&前々作(同)をも包み込み、その2枚でも表現収録仕切れなかった音楽をもフォローした2枚組アルバムです。
そうした意味において、本作はまさにヴァン・モリソン’sミュージックそのものなのです。
当時の勢いそのままに2枚組アルバムにも関わらず、全英アルバム・チャートで5位。
前作&前々作(同)のように冒頭曲で心をいきなり掴まれて、コンパクトにまとめられたアルバムを聴き終えるというのではなく、ジックリ長々とサウンドを聴かせるアルバムで、より幅広い音楽性が溢れ返っています。
ちなみに本作は販売中止となったリマスター第3弾販売予定だった上に、過去盤も廃盤となっているため、音源入手がやや困難です。

個人的評価 ★★★☆

「The Best Of Van Morrison Volume Two~ベスト・オブ・ヴァン・モリソン Vol.2(1993年2月)」

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<前作“Vol.1”のヒットを受けて、93年にリリースされたベスト盤第二弾。カレドニア・プロダクション(=エグザイル)を設立後の79年以降の10枚のアルバムから13曲と、ゼムの2曲⑩⑪(ディランのカヴァー)を収録。宗教色を強めた時代から、引退騒動を経て、心機一転した時代まで、激動の80年代を中心に振り返った選曲で、アイリッシュ・ルーツを示すようになったヴァン・モリソンの変容の歴史も聴ける(ST・赤岩)>

[目]
既にレンタルしてi-podに入っているのですが、オリジナル・アルバムを聴き漁っているため、聴く機会がほとんどありません。
上記レビューにあるように80年代中心の選曲であり、ヴァンの全キャリアから満遍なく代表曲を収録したVol.1のおまけのような、あるいは「小難しい」というイメージだった80年代の曲も掘り下げて聴いてもらうことを狙ったベスト盤か。

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー7 [Van Morrison]

「Too Long In Exile~トゥー・ロング・イン・エグザイル(1993年)」

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<93年6月リリース。全英4位/全米29位という好成績をマークしたのも納得の、素晴らしいアルバムだ。じわじわ盛り上がる①はキャンディ・ダルファーのサックスが出てくるあたりで“決まり”だし、ヴァンの無骨なリード・ギターが“まさにブルース”な②も凄い。当時のぼくは“ああ、また傑作だよ~”と嘆いたものである。だって、ロックが全般的に面白くなくなった80年代末期以降、ひとり気を吐いていたのがヴァンで、プロレスで言えばハーリー・レイスのような“時代に動かされない王道”を見せつけていたのだから。パンクだ、ニューウェイヴだ、テクノだ、スカだ、ニュー・ロマンティクスだ、ネオアコだ、ギター・ポップだと時代に踊らされた末に、すっかり自分を見失っていた30代半ばの僕は、このころ、ヴァンの新作が届くたびに打ちのめされ、情けない気持ちになっていたのである。
ジョン・リー・フッカーをゲストに迎えた「グローリア」も嬉しいが、ジョージィ・フレイムやロニー・ジョンソンらのツボを心得たプレイに乗って、円熟を極めたヴォーカルを聴かせるヴァンの男っぷりがたまらない。前作より微妙に劣るものの、これも“ヴァン・ザ・マン”の面目躍如たる大傑作(ST・和久井光司)>

[目]
近作の好チャート・リアクション。2枚組の前作でも全英5位を記録するのですから、怖いものは何もありません。やりたい放題で、ジョン・リー・フッカーをゲストに迎え、「グローリア」のセルフ・カヴァーまである。
というわけで、本作は非商業的とも言える(?)ブルース色を取り入れた楽曲を多く含むアルバムとなりましたが、これがまた全英4位になるのですから、ブルースを幅広い層に楽しんでもらいたかったヴァンにとっては願ったり叶ったりでしょう。
以後、ジャズ色やカントリー色を全面に取り入れたアルバムを発表できたりするのも、本作の成功が自信になったからではないでしょうか。
アイリッシュ・トラッド色を全面で展開した「アイリッシュ・ハートビート」のように、こうしたアルバムはヴァンにとっては作る必要性がずっとあったのでしょう。
ただ、序盤でブルースっぽい曲が多く並ぶも決してブルース一辺倒のアルバムではなく、ジャズっぽい曲なども多く含みますが、最近続いたポップ路線とは、明らかに作りの異なるアルバムです。
興味深いのは全15曲という初めてヴァンがCDフォーマットを意識したアルバムを作ったことでしたが、元々は1枚目6曲、2枚目9曲という、前作に続く2枚組構成だったようです。

個人的評価 ★★★

「A Night In San Francisco~ナイト・イン・サン・フランシスコ(1994年)」

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<93年12月18日にサンフランシスコのメソニック・オーディトリアムで収録された二枚組ライヴ。ジョージィ・フェイムやケイト・セント・ジョンを含む八人編成のバンドに、コーラスのブライアン・ケネディとジェイムズ・ハンターという布陣での演奏で、ゲストはキャンディ・ダルファー、ジョン・リー・フッカー、ジュニア・ウェルズ、ジミー・ウィザースプーン。ヴァンのライヴがいいのは有名だが、これは度を超えた素晴らしさだ(ST・和久井)>

[目]
ライヴ盤は後回しのため未聴。

「Days Lile This~デイズ・ライク・ディス(1995年6月)」

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<95年6月にリリースされ、全英5位/全米33位。ジョージィ・フェイムの不在を、ピー・ウィー・エリス編曲のホーン・セクションと、ケルト音楽の巨匠フィル・コウルター(P)の投入で埋めたため、「アヴァロン・サンセット」以降ほぼ決まっていた音が若干変化している。しかし、この路線もまた良いのだ。ヴァンの拭くハーモニカも過去最高の味を出しているのにも注目。大傑作連発のあとで分が悪かった一枚だが、軽く水準以上(ST・和久井)>

[目]
前々作で非商業的な「ブルース・アルバム」を作ったため、それによる一般リスナーのファン離れを恐れてか(?)、冒頭曲がいきなり超ポップなナンバー。それにしても、ヴァン・モリソンは各アルバムにおいて、冒頭曲でリスナーの気を惹きつける、「掴み」の上手いアーティストです。
本作では、特定のジャンルに偏らず、それらを融合したヴァン・モリソン’sミュージックを奏でられますが、冒頭曲以降は穏やかでミディアム/スローな高品質な楽曲が並びます。
そして、貫禄の全英5位を記録。

個人的評価 ★★☆

「How Long Has This Been Going On~ハウ・ロング・ハズ・ディス・ビーン・ゴーイング・オン(1995年10月)」

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<長く共演が続くジョージィ・フェイムとのコラボ作で、ヴァーヴからリリース。ジャズ系のカヴァーが中心でヴァンのオリジナルは①⑥⑩⑭。⑥はジャズ・アレンジでの再演だ。スウィング感溢れてリラックスした雰囲気に、音楽を心から楽しんでいるヴァンが感じられる。録音はロンドンのロニー・スコッツ・クラブを一日借り切って、観客抜きで行われている。異色作とも言えるが、そう思わせない凄みが感じられる(ST・後藤秀樹)>

[目]
ヴァン・モリソンwithジョージィ・フェイム&フレンズ名義でヴァーヴからリリース。
企画盤のため未聴。

「Tell Me Something:The Songs Of Mose Allison~テル・ミー・サムシング~モーズ・アリソンに捧ぐ(1996年)」

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<孤高の存在といった印象を受けるヴァンだが、実はたくさんのミュージシャンと共演し、交友関係も実に広い。本作は、ヴァンを中心に、ジョージィ・フェイム、ベン・シドランも加わって、ベテラン・シンガー、モーズ・アリソンの曲を取り上げたトリビュート・アルバムとなっている。捧げられるモーズ・アリソン本人も参加しているのがミソ。アリソン自身、ヴァンに親しみを感じると言っていた。ヴァンの一つのルーツを見ると同時に、60年代のモッズ・シーン新たにゴージャスに繰り広げた面白さを感じ取ることができる。全編ヴァンのヴォーカルが聴けるわけではないが、彼のヴォーカルが登場する部分は圧巻。フェイムやシドランのスタイルとの相違もあるのだが、ヴァンの呼びかけのもと彼らが集ったことに意味がある。久々に聴けたフェイムのハモンドも涙が出るほど素晴らしい。純粋なヴァン・モリソンのアルバムというわけではないが、重要な作品だ(ST・後藤)>

[目]
ヴァン・モリソン、ジョージィ・フェイム、モーズ・アリソン、ベン・シドラン名義でヴァーヴからリリース。
企画盤のため未聴。

「The Healing Game~ヒーリング・ゲーム(1997年)」

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<ヴァンの音楽にはアイルランドの文学や精神性が登場し、癒しを求める心が歌われていた。97年の本作はタイトルもズバリの“癒しの遊戯”だ。円熟の域のヴォーカルはもちろん、バックの演奏ぶりは一層輝きを増している。迷いや苦しみからの解放といったニュアンスも感じ取れるが、精神的な安定が人間をどれだけ豊にするのかが感じ取れる大傑作。日本盤には二曲入りのボーナスCDが添付されていた(ST・後藤)>

[目]
上述もしましたが、ヴァンは冒頭曲における「掴み」の上手いアーティストです。
そして、今回も「掴み」にかかりますが、その第一音、第一声を聴いただけで、「ちょっと違う」と感じることでしょう。
一言で言うなら、とにかく「渋い」のです。
ポリドール移籍後はポップな曲調で「掴む」アルバムが大半でしたが、本作では明らかに違う作りです。
そして、アルバム全体の印象を言うならば、「円熟」味がタップリで、ヴォーカルも演奏もとにかく「大人の音楽」に徹しています。
アルバム・ジャケットのように、まるでゴッド・ファザーのごとく貫禄タップリなのです。
ヴァンも大物アーティストとして、こうした「大人の音楽」を表現することもあるよなぁと思っていましたが、もしかして96年に英国王室から「Sir」の称号を得たことと関係があったりして…。
全英10位。

個人的評価 ★★★

「The Philosopher's Stone~フィロソファーズ・ストーン~賢者の石(1998年)」

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<ヴァン・モリソンの凄さは、40年以上に及ぶその活動の中でほとんどブランクがないことと、40枚を超えるアルバムの中に駄作とか手を抜いた作品が全くないことだ。天才肌の創作の賜物であることはもちろんだろうが、おそらくは、圧倒的な集中力でレコーディングに精力を注ぐのだろう。98年に出された「フィロソフィーズ・ストーン~賢者の石」という二枚組の本作は、驚くことに全30曲がすべて未発表であり、すべて完成形だ。ディスク1には70年代の曲が並ぶ。特に④~⑪は「苦闘のハイウェイ」後のアルバム用に73年に録音されたもの。ジャッキー・デシャノンとのデュエット⑤や、「マダム・ジョイ」なんていう「マダム・ジョージ」(「アストラル・ウィークス」収録)絡みの曲もある。⑫⑬は「ヴィードン・フリース」期。そして空白期にあたる75年の録音が⑭からディスク2⑥まで続く。実際にその後、形を変えて陽の目を見たものもあるが、とにかく貴重で驚きの逸品だ(ST・後藤)>

[目]
ポリドールからリリースされた最後の作品。
企画盤のため未聴。

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

ヴァン・モリソン ディスコグラフィ
第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第5弾 第6弾 第8弾 第9弾
おまけ

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー8 [Van Morrison]

早くも第8弾となりました。

第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第5弾 第6弾 第7弾 第9弾
おまけ

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「Back On Top~バック・オン・トップ(1999年)」

バックオントップ.jpg

<90年代最後となる本作は、レーベルをポイントブランクに移してのものとなった。この時期彼は、ステージに立つことも積極的だった。ジャケットに挿しこまれた写真の印象の強さもあるが、季節感を漂わせた曲が並んでいる。それも枯れた寂寥感ではなく瑞々しさを湛えているところがさすがだ。前年に出た未発表曲集の題名である②「賢者の石」や、「ニュー・バイオグラフィー」なんて曲が並んでいるのも思わせぶり(ST・後藤秀樹)>

[目]
今回、ベスト盤をきっかけにして、ヴァン・モリソンの膨大な過去のアルバムを聴き漁っていったのですが、ここ最近のものは安定期に入っているという思い(込み)があったため、当初はあまり食指が動きませんでした。
特に本作は「Back On Top」というタイトルが僕をどこか躊躇させたため、それ以降のアルバムは「後々に」という位置づけでした。
何故、タイトルが気になったかと言えば、以前、ジュールス・シアー(Jules Shear)のアルバムを買い漁っていたとき、08年に久しぶりに発表された、最近作で冒頭に「I'm Coming Back」という曲を収録した「More.」というアルバムだけが気負いが空回りしてつまらなかったからです。
つまり、本作のタイトルである「Back On Top」がジュールスの「I'm Coming Back」という曲名を連想させて、「気負いだけが目立つんじゃないか」という勝手な偏見があったという下らない理由です…。
さて、本作ですが、オリジナル前作の抑え気味の渋い「大人の音楽」から一転して、冒頭からブルージーで泥臭い、力のこもったナンバーで幕を開けます。
「ブルース・アルバム」の「トゥー・ロング・イン・エグザイル」を経てから、こうした泥臭いブルースっぽさもヴァン・モリソン'sミュージックに融合しました。
といっても、本作ではそうした冒頭曲から一転して、スローな洗練されたナンバーが続きます(②のヴァンのハーモニカは素晴らしい)。「デイズ・ライク・ディス」、古くは「苦闘のハイウェイ」もそうでしたが、ヴァンのアルバムは中盤以降、スロー/ミディアム・ナンバーで占められることが多いため、本作もその作りかと思いましたが、全体的にメリハリのあるアルバムとなりました。
当初の偏見への自戒の念も込めて、本作を力作として推したい。

個人的評価 ★★★★

「The Skiffle Session:Live In Belfast(2000年1月)」

スキッフルセッション.jpg

<98年11月20日と21日にヴァンの故郷ベルファストで行われたライヴは、ロニー・ドネガンにクリス・バーバーと戦後まもない時期に英国音楽を支えた巨人たちとの寛いだスキッフル大会となった。③④ではアメリカからドクター・ジョンもピアノで参加している。やはりヴァンのヴォーカルが圧倒的なのだが、02年に他界してしまうドネガンを思えば、晩年の歌声がここに残されたことに感謝したい気持ちでいっぱいになる(ST・小尾隆)>

[目]
ヴァン・モリソン、ロニー・ドネガン、クリス・バーバー名義。
企画盤のため未聴。

「You Win Again~ユー・ウィン・アゲイン(2000年9月)」

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<21世紀を迎えて発表されたのが「The Skiffle Sessions」とこのデュエット・アルバムだった。ルーツ回帰というほど大袈裟なものではなく、ほど良く肩の力を抜いて鼻歌の如くセッションを楽しんでいるパブ・ロック的なスタンスが実に気持ちいい。ヴァンの相方となるのはジェリー・リー・ルイスの妹であるリンダ・ゲイル・ルイスだ。選曲はハンク・ウィリアムスの②③⑩、オーティス・ブラックウェルの①、アーサー・アレキサンダーの⑧、デイヴ・バーソロミューの⑨、ボ・ディドリーの⑪など、白人黒人を問わず戦後アメリカ音楽の源流となる南部マナーに彩られた代表的なカントリーやR&Bナンバーが多くを占める。ヴァン永遠のアイドルであり共演も果たしたジョン・リー・フッカーの⑬でも、歌にギターに開放的な表情を見せる。何よりも本作にはヴァンが音楽に寄せる信頼があり、近作「ペイ・ザ・デヴィル」の伏線ともなった柔らかい響きに心奪われる(ST・小尾)>

[目]
ヴァン・モリソン&リンダ・ゲイル・ルイス名義。
企画盤(?)のため未聴。

「Down The Road~ダウン・ザ・ロード(2002年)」

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<これもまたほど良くヴァンの栄養となった音楽を自己流に翻訳した佳作。サム・クックやリトル・ウィリー・ジョンの有名曲に似せた作風を故意に展開するユーモラスな一面も感じられるなど、一時期のシリアスな姿とは異なる表情に安堵したファンも少なくないだろう。パイレーツのミック・グリーン(G)やニック・ロウのカウボーイ・アウトフィット出身のボビー・アーウィン(Ds)も参加して御大に寄り添っている(ST・小尾)>

[目]
ポリドールに戻っての移籍第1弾アルバム。
中古レコード店の店頭が写されたジャケット・ワークにヴァンが敬愛する先人達のブルース、カントリー、ジャズ、R&B、ソウルのアルバムが並んでいることに象徴されるように、そうした様々な音楽がリラックスした様子で奏でられています。集大成と見るか、そうした音楽に敬意を表して単に楽しんで演っているだけと見るか。僕は後者と捉えています。というのも、あまりに力みが見られないからです。
音の雰囲気は全然違うのですが、「楽しんでやっていたら、曲数が増えてしまった」という感じ(といっても僕が勝手にそう捉えているだけですが)の「Hymns To The Silence~オーディナリー・ライフ」と似ているのかもしれません。奇しくも、今回もレイ・チャールズの超有名曲「我が心のジョージア」をカヴァーしてます(「Hymns~」では「愛さずにはいられない」をカヴァー)。
それにしても、最近のヴァンはブルースっぽい泥臭さが完全に板についてきましたが、何か久々に「カレドニア・ソウル」っぽいホーン・セクションが聴ける曲もあります。
収録曲は全15曲で、ついにCDフォーマットとなったかと思いましたが、またしても本来は2枚組アルバムのようです。とはいえ、CDでは海外盤も1枚にまとまっているため、未だにアナログ盤も販売されているんでしょうかね。そして、ヴァンはそうしたアナログ盤を意識してアルバムを製作しているのでしょうか。
まあ、僕なんかはCDになっても、A面、B面を意識して聴くことが多いです、特にアナログ世代のアーティストはそうした作りをしてきますから。

個人的評価 ★★☆

「What's Wrong With This Picture?~ホワッツ・ロング・ウィズ・ディス・ピクチャー?(2003年)」

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<ブルーノートとのワンショット契約をしての一枚だが、スタンダード・ジャズを意識したのは⑩くらいのもので、あらゆる音楽を包み込んだヴァンの世界がここでも惜しみなく展開されている。痛快なのはスラッピング・ベースの鮮やかに刻み込まれたロカビリーの⑦。リチャード・ダンのハモンド・オルガンが活躍するジャンプ・ナンバーの②やブルースの⑧にも生気が漲っている。わけてもアルバム表題曲の①が秀逸な出来だ(ST・小尾)>

[目]
近作(オリジナル盤)で泥臭いブルースっぽいサウンド&ヴォーカルを展開してきましたが、一転して、ジャズの老舗名門レーベルであるブルーノートからの作品であるため洗練された落ち着いたサウンドが印象的。
よって、当然のことながらジャズ・テイスト中心のアルバムなのですが、泥臭いブルースやR&Bっぽい曲も何曲か演っています。
ヴァンにとってジャズはアイリッシュ・トラッドと並ぶ最も根幹を成すルーツ音楽であったとも言えるため、いずれはこうした作品を出すことは、これまでの彼のキャリアの上でも必然だったのかもしれません。

個人的評価 ★★☆

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー9 [Van Morrison]

ついにヴァン・モリソンのディスコグラフィも最終章です。

第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第5弾 第6弾 第7弾 第8弾
おまけ

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「Magic Time~マジック・タイム(2005年)」

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<スキッフル、ロカビリー、ジャズなどの企画作を続けていたヴァンが、アイリッシュ・ルーツに戻って製作した作品。30~40年代のスタンダード曲⑤⑥⑨もカヴァーしているが、全体に漂うのはアイルランドの“憂愁と美”を感じさせるタイトル通りのマジカルな空気だ。得意の自伝的な詩も交えながら語られる世界の深さ! 14枚の歌詞カードと紙ジャケCDをCDサイズのボックスに収めた限定盤もある(ST・赤岩和美)>

[目]
ヴァン・モリソンはアルバム冒頭曲による「掴み」の上手いアーティストだと何度か記してきました。アルバムのその後に期待を抱かせるような曲だったり、そのアルバムの方向性を示す曲だったり。
本作は前作で「ジャズ・アルバム」を作った影響か、ムーディーなジャズ・テイストを持った曲で幕を開けます。美しい曲ですが、ヴァンの冒頭曲にしてはやや「地味」な印象の曲です。
そして、本作では冒頭曲が方向性を示すように(?)、一聴した感じは「地味」です。
サウンド的には、前作の延長のようにジャズ・テイストもあれば、昨今のよく聞かれる泥臭いブルージーな楽曲もありますし(それにしても近作ではヴァンのハーモニカが大活躍)、フランク・シナトラなどのスタンダード曲のカヴァーもあります。
雰囲気的には自らが敬愛する多様な音楽を演った「ダウン・ザ・ロード」が明るく開放的な「陽」だったのに対して、本作は暗がりの「陰」、月光やネオンライトのような印象か。
ジックリ聴けるアルバムではありますが、初心者が聴くには「地味」である。
ただ、「バック・オン・トップ」が全英11位と久しぶりにトップ10を逃して以降、本作では久しぶりに、そして過去最高の全英3位を記録しました。

個人的評価 ★★☆

「Pay The Davil~ペイ・ザ・デヴィル(2006年)」

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<何とカントリー&ウエスタンに挑戦したアルバムで、全15曲中オリジナルは⑤⑩⑫のみで、12曲がカントリー・ソングのカヴァーという異色作。ハンク・ウィリアムス⑥、レオン・ペイン③、ロドニー・クロウェル⑮ら新旧カントリー曲をリラックスした雰囲気で歌い上げており、意外とはまっている。カントリーの源流がアイリッシュ・ミュージックであることを思えば納得の挑戦だ。ヴァンの音楽の旅はまだ続いている(ST・赤岩)>

[目]
本作は…難しく考えることはない。正真正銘のカントリー・アルバムです。
これまで「ブルース・アルバム」とか「ジャズ・アルバム」とか称されるアルバムを作ってきましたが、内容は必ずしもそれら一辺倒ではありませんでした。
ただ、このアルバムに限っては、どこからどこまでもカントリー・アルバムです。
カントリーのスタンダード曲をヴァンが熱っぽく謳い上げる。ただ、それだけです。
エルヴィス・コステロやボブ・ディランもスランプに陥ったり、壁にぶち当たった際、カントリー・アルバムを作りましたが、ヴァンの場合は自らの重要なルーツの一つとして、カントリー・アルバムを作ったに過ぎないでしょう。
このアルバムの評価はカントリーが好きか嫌いかどうかで、僕は結構好きなのですが、ヴァンのアルバムとしては評価を下げざる得ない。
それでも、全英8位の成功でヴァンとしては、してやったり、か。

個人的評価 ★

「Live At Austin City Limits Festival(2006年)」

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<ヴァンのオフィシャル・サイト(www.vanmorrison.co.uk)でリリースされた二枚組ライヴ。TV放送もされた06年9月15日にカントリーのメッカ、テキサスのオースティン・シティ・リミッツ・フェスに出演した際のライヴ。美人ペダル・スティール/ドブロ奏者ら地元の実力派ミュージシャンをバックに貫禄タップリに歌い上げた圧巻の歌唱が見事。「ムーンダンス」などの名曲が新たなアレンジで歌われるのも聴きもの(ST・赤岩)>

[目]
ライヴ盤は後回しのため未聴。

「The Best Of Van Morrison Volume 3(2007年6月)」

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<07年にEMIからリリースされたベスト第三弾となるCD2枚組。“Vol.2”以後の94年以降の音源から編集したもので、全31曲中14曲がデュエット曲。未収録音源ディスク1①、ディスク2⑥、オムニバス提供曲5曲、シングルのみの3曲という、オリジナル・アルバム未収録曲がまとめられている点も便利だ。90年代以降、活発に行われたコラボも多く収録しているあたりも、ヴァンの音楽観の多様化を知るうえで重要だ(ST・赤岩)>

[目]
未聴。国内盤なし。

「Still On Top:The Greatest Hits~スティル・オン・トップ~グレイテスト・ヒッツ(2007年10月)」

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<07年に発表された最新のベストCD。タイトルは99年の「バック・オン・トップ」に引っ掛けたものだろう。驚くことに本作品は米国編集の1枚もの、国際流通の2枚もの、限定盤の3枚組と3種類用意されている。1枚ものはゼム時代を含めて年代順に18曲収録。2枚組はランダムに37曲、3枚組はそれにさらに1枚を加えたものとなり全51曲となっている。今後のアルバム・リマスターに先駆け、38曲がリマスター、ディスク2⑭のみ別テイクとなっている。彼ほどのキャリアにあって、これまでもベストはいくつかあったが(昨年は他に2種、“Vol.3”と「ムーヴィー・ヒッツ」が発売されている)、ボックス・セットは未だ組まれていない。今回の限定3枚組はひょっとしたらその形かと予想されたが、実際には4面開きのデジパック仕様で、ブックレットもいたってシンプルなものとなっている。彼の活動を追い、全体像をまとめあげることは今後の楽しみとして待とう(ST・後藤秀樹)>

[目]
2008年のデジタル・リマスターに合わせて発売された最新のベスト盤。
国内盤は2枚組ですが、何でベスト盤まで限定生産なのか理解できません。
レンタルで音源入手済みですが、オリジナル・アルバムを聴き漁っているため、あまり聴く機会がありません。
何と全米2位を記録する売り上げを記録しました。

「Keep It Simple~キープ・イット・シンプル(2008年)」

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<本誌(「ストレンジ・デイズ」08年5月号)の発売と同時期にリリースされる予定のニュー・アルバム。思えば「マジック・タイム」を除けば00年代のヴァンの作品は企画作と呼べるものばかりだった。90年代から意識的に行われた様々なコラボは、ヴァンの多様な音楽ルーツを探る旅とも言えるもので、ファンに音楽の幅広い聴き方を教えてくれる意義深いものでもあった。本作は「バック・オン・トップ」以来の、全曲がオリジナル曲で構成された作品で、セッションには「Live At Austin City Limits~」や「ペイ・ザ・デヴィル」発売に合わせての“ライマン・シアター・ライヴ”でバックを務めたアメリカのカントリー・ミュージシャンと、ミック・グリーン(G)やジェレイント・ワトキンス(P)ら90年代からのブリティッシュ・メンバーが揃って参加。カントリー、アイリッシュ・ミュージック、ソウルを見事に昇華させた味わい深いオリジナル曲を収録している。進化し、深化するヴァンの真髄が聴ける(ST・赤岩)>

[目]
久々の全曲オリジナルのアルバムですが、重要な冒頭曲はとにかく地味である。渋すぎる。大袈裟かもしれませんが、「地味」と称した「マジック・タイム」冒頭曲の比ではないくらい「地味」ですし、「渋い」と称した「ヒーリング・タイム」冒頭曲よりグッと渋い。
そして、そうした「方向性」同様、アルバム自体も地味ですが、サウンド的には統一感があり、ジックリと聴ける完全に「大人の音楽」となっている。
僕が「大人の音楽」と称したのは、「ヒーリング・ゲーム」でしたが、それが「大人による、大人のための、大人の音楽」であったのに対し、本作は「大人による、大人の音楽」というべきもので、これまでのヴァン・モリソンの音楽が大なり小なり、外に対して発せられていたのに対して、内側に篭っているような、言い方は悪いですが、ヴァンは既に「ご隠居」音楽活動に入ったとすら思えるほどです(今後、どんなアルバムを発表するかわかりませんが)。
そんなわけで本作は世間の評価など全く気にせず、自らの歳相応に自然体で作られたアルバムではないかと思います。
ただ、あまりに渋過ぎるため、初心者には不向きですが、長くジックリ聴けるアルバムかもしれません。

個人的評価 ★★

ふぅ~、1ヶ月近く、ヴァン・モリソン漬けの毎日でした。と言っても、キャリア40年の大御所アーティストのアルバム群を、こんなに急ぎ早に聴いて、急ぎ早にレヴューを書いて、まして評価付けして良いものかどうかという念は今もあります。
30年以上も彼のファンの人からしてみたら、聴き始めて1ヶ月足らずの僕が評価付けするなど、「舐めてんのか!」と呆れることでしょうが、アマゾンのディスク・レビューを読んでいて気になったのは、ヴァン・モリソン・ファンはコアなファンが多いためか、絶賛するようなレビューが大半で、批判的に書いたレビューは評判が悪いようです(「参考にならない」連発)。ただ、これではちょっとつまらないと思うので、僕は遠慮なく書かせてもらいました。
今後は気楽にヴァン・モリソンのお気に入りのアルバムをジックリ聴き込んだり、当然のことながら他のアーティストの音楽も気楽に聴きたいと思います。
ただ、既にヴァンのライヴ盤や企画盤の音源も入手していますので、そうしたレビューも追記していくことでしょう。

ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー おまけ [Van Morrison]

ヴァン・モリソン ディスコグラフィー
第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第5弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾

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<何の知識もなく聞いてすぐに楽しめるのが、ポップ・ミュージックの本来の姿かもしれない。でも、イヤな良い方になるが、いろいろと蓄積しなければわからないポップ・ミュージックも絶対にあるのだ。最初から高価なビンテージ・ワインを飲んでも猫に小判なように、モリソンの珠玉の表現もそういうもの。いろいろな経験を積んでこそ、より真価が見えてきて輝きだすポップ・ミュージックもある(佐藤英輔・「マジック・タイム」日本盤解説より)>

これを読んでいて、僕は昔のストーンズのアルバムに載っていた渋谷陽一の解説を思い出しました。
言うには、ビートルズの音楽の良さは先天的な感性で理解できるけど、ストーンズの音楽の良さは後天的な感性が養われないとわからないというもの。
彼が学生の頃、音楽ファンはビートルズ派とストーンズ派とに分かれていて、ビートルズ派の彼はストーンズ派を小馬鹿にしていたのですが、「内心はストーンズ派の感性を恐れていた」というようなことを言っていました。
極端に言えば、楽器も何もない時代は音が出るだけで、凄い!と驚くわけです。
バンド演奏を初めて聞けば、それだけで衝撃的なわけです。
ただ、いろんな音楽を聴いていると、感性が磨がれ、本物だけを見つけることができるようになるのです(もちろん、嗜好は人それぞれですが)。

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<かつて「オーディナリー・ライフ(Hymns To The Silence)」が、「モリソンは同じことを繰り返しているに過ぎない」とイギリスの評論家達に非難された時に、彼の支持派の一人は
モリソンは弧を描きながら、自らの心を捉えて離さない思いを再度、述べているのだ。しかも、その弧はどんどん中心点に近づいている
と擁護したという(「ジョニー・ローガン著「魂の道のり」)。何と上手い弁護だろう、と感心してしまったが、この記述は、そのまま本作にも当てはまる。つまり、ポリドールに移籍してからのヴァン・モリソンは、ずっと弧を描きながらほんの少しずつ中心点に近づいているわけで、その意味ではまさしく円熟という表現が適切だと思う。
モリソンは93年のインタヴューで、こういうやり取りをしている。
Q:最近は、世間の予想通りのレコードを作るようになったという気はしませんか?
A:いや、私はやれるだけのことをやっているだけだし、それで私には精一杯だ。“私はただの男、最善を尽くしているだけ”って歌にある通りで、私の現状からしたら、これは今の時点で私にできるベストなんだよ。今の私に浮かんでくるものはこれだという、それだけの話だ。それに、これを大いに喜んでくれてる人がたくさんいて、応援してくれているから私はハッピーなんだし、それが一番じゃないか。(森田敏文・「デイズ・ライク・ディス」日本盤解説より>

はい、以前、僕は「最近の彼は90年代以降のプリンス、あるいは80年代以降のスティーヴィー・ワンダーのように高品質ではあるけれど、大体予想のつく、しかも何かが足りないアルバムを作るようになった」というようなことを書きましたが…と思っていたら、記述をいつの間にか修正していました(追記:と思ったら「アヴァロン・サンセット」のレビューに残っていました)。
ただ、それと同じようなことを思う評論家もいたということでしょう。
ちなみに僕は「デイズ・ライク・ディス」をレンタルで済ませていたのですが、安価だったため中古盤を手に入れて、こうした解説を読んで納得したのです。
そして、ヴァンのスタンスも僕が何となく予想していたのと似ている気がします。つまり、90年代初頭のヒットが彼に自信を与え、より好きに音楽活動ができるようになったということでしょう。

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