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ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー5 [Van Morrison]

ヴァン・モリソンのディスコグラフィの第5弾です。

第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第6弾 第7弾 第8弾 第9弾
おまけ

※RC…レコード・コレクターズ1991年3月号、ST…ストレンジ・デイズ2008年5月号。
※個人的評価は、
★★★★★ 歴史的名盤
★★★★   傑作
★★★    好盤
★★      ヴァン標準
★       ヴァン標準以下
として、やや辛口目に採点しますが、今後、聴き込んでいくうちに評価が変わるでしょうし、僕のコメントにもちょくちょく修正・補足等が加わるということをご了承ください。

「A Sense Of Wonder~センス・オブ・ワンダー(1984年)」

センスオブワンダー.jpg

<84年に発表した「センス・オブ・ワンダー」には、驚かされることがいくつかある。
まず、ほとんど自作曲で通してきたモリソンが、ここではレイ・チャールズのA5(⑤)やモーズ・アリソンのB3(⑧)を取り上げていることだ。さらにB4(⑨)となると、ウィリアム・ブレイクの詩にマイク・ウェストブルックが作曲し、後半は詩の朗読である。A3(③)ではモリソンは歌わずにハミングしている。
また、B1(⑥)2(⑦)は、アイルランドのトラッドとロックやジャズを融合させた先進的なバンド、ムーヴィング・ハーツをバックに起用しており、インスト曲のB2(⑦)はムーヴィング・ハーツが主役といってもいい。ちなみに、この時のムーヴィング・ハーツは、クリスティ・ムーアも辞め解散の直前だった。デイヴィ・スピランのユリアン・パイプがいかにもアイルランドらしい音を聞かせている。
全体的に言えるのは、宗教的な色合いが薄れたことだ。精神世界に遊んでいたモリソンが、再び身近な人間の世界へ戻ってきたような安心感をおぼえる。スピリチュアルな雰囲気はA3(③)、B4(⑨)あたりに残ってはいるが、それは自然に出てきたもので、誰でも共感を得られるはずだ。
A1(①)2(②)、B5(⑩)など、どれもがわかりやすい曲で、モリソンの歌声もかつてのゼムの頃を思い出させる若々しく張りのあるものだ。B3(⑧)の懐かしいオルガンの音もその感じを出している(RC・山岸伸一)>
<アイルランドの先駆的ロック・バンドだったムーヴィング・ハーツと⑥⑦⑧で共演するなど母国への思いを募らせながらも、レイ・チャールズの⑤やモーズ・アリソン⑧を取り上げるなど自らのR&Bルーツも除かせたバランスの良い好盤だ。インストゥルメンタルの⑦やウィリアム・ブレイクの詩を朗読するというスポークン・ワーズの手法を用いた⑨もアルバムに奥行きを与え、ヴァンの穏やかな境地を伝える(ST・小尾隆)>

[目]
「宗教3部作」を作り終え、再び、俗世界に戻ってきたという位置づけのアルバムか(ボブ・ディランでいうところの「インフィデル」のような)。
ただ、当たり前のことですが、だからと言って、モリソンもディランもそこから無宗教に転じたわけではありません。自己の内面と向き合い、アイデンティティや宗教にも思いを馳せ、魂の彷徨を終えて、目の前の靄が晴れてきたようなものでしょう。内省の旅に出て、トンネルに入り、トンネルから出たら、一段階成長して元の世界に戻ってきたといった感じで、そうなると再び自然体で音楽と向き合うことができ、それがサウンドにも表れている気がします。
僕は特定の宗教に入信したりしたこともないですし、出自も純粋な日本人なのですが、それと似たような経験を持っているだけに、「目の前の靄が晴れた」感覚はよくわかります。
まあ、日本のレコード会社的にも、音楽評論家的にも、「宗教嫌い(?)の日本のファンの皆さん、もうモリソンから宗教色はなくなりましたよ」と訴えたいのでしょうか。上のレビューでも「全体的に言えるのは、宗教的な色合いが薄れたことだ。スピリチュアルな雰囲気はA3(③)、B4(⑨)あたりに残ってはいるが、それは自然に出てきたもので、誰でも共感を得られるはずだ」と宗教色を否定することに躍起になっている気がしてなりません(?)。
内容の方はサウンド的には前々作で完成させた「カレドニア・ソウル」路線に戻ってきました。
レイ・チャールズらのカヴァー曲があることが「驚き」のようですが、おそらくそれまで宗教色の強い(?)曲に多く向き合っていたために、純粋に音楽を楽しむことを再確認するために自らのルーツを歌ったのではないかと思いますし、前作ではシンセを使ってアイリッシュ・トラッド風の曲を演ったりしていましたが、本作ではその悪夢を振り払うかのように、ムーヴィング・ハーツと共に生の楽器で⑦で再挑戦しています。
そんなわけで、モリソンの「宗教3部作」からのリハビリというようなアルバムとも言えますし、ヴァンの穏やかなヴォーカルと共にサウンドのクオリティも高いのですが、どこか全体的に印象の薄いアルバムか。

個人的評価 ★★

「No Guru,No Method,No Teacher~ノー・グールー、ノー・メソッド、ノー・ティーチャー(イン・ザ・ガーデン)(1986年)」

ノーグルー.jpg


<83年以降のヴァンは、もはや孤高と呼ぶ以外にない歌手生活を送っている。本作は86年の作品。カリフォルニアとロンドンでレコーディングされている。プロデュースはヴァン自身。デイヴィッド・ヘイズ、クリス・ミシー、ビアンカ・ソーントンらのレギュラー・メンバーに加えて、若手のドリーム・アカデミーのケイト・セント・ジョンがオーボエ等で冴えたプレイを聴かせている。さらにかつての仲間のジェフ・レイブスやジョン・プラタニア、テリー・アダムスらの久々の参加もある。
望郷の念がじっくりと歌われるA1(①)。アメリカからの離脱か。既成のロック・ミュージシャンなどとははるかにかけ離れた表現を成し遂げてきたヴァンの、音楽産業への引導渡しか。ハーモニカとのハーモニーが印象的なA3(③)、闊達な絡みが宴を想起させるA4(④)、どちらもホーン・セクションが独自の快楽を醸し出している。しかし明朗なA4(④)でも、図々しい“やつら”に対する苦言はしっかりと盛り込まれている。
A5(⑤)、B1(⑥)は、宗教的なものではなく、自然との対話としての瞑想による自己の浄化について歌ったもの。ゼムの代表曲をもじったタイトルのB2(⑦)や故事を盛り込んだB3(⑧)、俗事に惑わされるなと歌うB5(⑩)では、精神の充実こそが人生を切り拓くと力強く訴えられる。静かなる佳品B4(⑨)のさりげなさに故郷アイルランドへの深い愛情があふれている(RC・湯浅学)>
<アルバム表題が歌い込まれる⑤が新たな名曲となり、以降ライヴの場でもクライマックスに設定されることが多くなったという意味でも忘れがたい作品だ。前作同様のたおやかさを湛えつつも曲のクオリティは本作の方が遥かに高く、すべての曲をヴァンは書き下ろしている。演奏にしてもソウル音楽のグルーヴを包み込むような優しさのなかで表現するという新境地を開拓し、新たな飛躍を予見させる力強い傑作となった(ST・小尾)>

[目]
サウンドは基本的には前作の延長線上の高品質「カレドニア・ソウル」のようですが、前作よりも落ち着きが増し、渋みが増しています。すっかり完全に「大人の(ための)音楽」となった感で、ソウル・ミュージックというよりは、ポピュラー・ミュージックというような佇まいです(ソウル風のホーン・セクションがほとんどなくなったからですが)。
冒頭曲の第一声から、おそらくヴァンのヴォーカルに円熟味を感じたのは最初の瞬間かもしれません。
以前までは熱くなってくるとミック・ジャガーのヴォーカルと似てくるようなところがありましたが、いつの間にか、似ても似つかない円熟味を増したヴァン・モリソンのヴォーカルへと変化してきました。
ソウルを超越したモリソンの新境地を開く力作だと思いますし、冒頭曲や「イン・ザ・ガーデン」といった曲の持つ力も圧倒的ですが、個人的には何故か心に引っ掛からないアルバムです。
相変わらず高品質なサウンドだけど、何かが足りない、魔法が解けてしまったかのようにも思えていたのですが、それはたぶん、ソウル・ミュージックっぽさ(情熱的なパッション)が薄れてきたから、そう感じたのかもしれませんが、聴き込みが甘いせいもあるため、「傑作」と言い出す日もあるかもしれません。

個人的評価 ★★☆

「Poetic Champions Compose~ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ(1987年)」

ポエティック.jpg


<掛け値なしに美しい音楽が詰まっている。この、ごく自然に内側から湧き出る美しさは、ピュアという言葉が本当にぴったりくるし、この声、音の響きは、真にスピリチュアルなものだ。だから、静かでもとても力強いのだ。
前作とはメンバーをガラッと変えての録音だが、アコースティックで透明感のあるサウンドに大きな変化はない。独自の音世界が完成しているというわけである。モリソンは、ピアノ、サックス、ギターと三つの楽器も担当しているが(ジャケットのイラストが可愛い)、特にサックスは、A1(①)、B1(⑥)6(⑪)の3曲のインストで大々的にフィーチャーされている。
アルバムのトップとラストをインストにするとは、ソロ・シンガーのアルバムとしては大胆なものだが、彼のサックスは、全く違和感なくソウルフルな歌声として届いてくる。まず歌う(奏でる)べきメロディがあり、それがモリソンのサックスを通して、空中に舞い上がっていくという趣だ。
ストリングスも素晴らしいA1(①)もスローな曲で心に染みるが、それは全体に言えること。歌の素晴らしさは改めて言うまでもない。精神性や宗教的な色合いを胡散臭いと見るむきもあるだろうが、A2(②)4(④)、B2(⑦)等々、信ずべきものをみつけたものが待つ、落ち着きや安心感が溢れ、聴く度に心が洗われる。まさにヴァン・モリソンだけの世界なのだ(RC・小出斉)>
<80年代に登場した音楽のなかで、今なお鑑賞に耐え得る音楽というのは驚くほど少ないのだが、ヴァンのアルバム群は数少ない例外のひとつ。これも流行のサウンドやアレンジには色目を使わずに、ひたすら自己探求のみを行ってきたかれならではのことだろう。「コモン・ワン」のジャケットさながらに、なだらかな丘陵をただひたすら歩いていくようなその音楽は、結果的に時代を超える輝きを得たのである。のちに映画「ブリジット・ジョーンズの日記」に挿入された⑦や、シングル・カットもされた⑩を初めて聴いたときのみずみずしい感動は、今も忘れられない。
本作でヴァンはピアノ、サックス、ギターを自分で担当している。おそらくは自分の肉体を通して楽器を奏でる喜びを、彼は歌うことと等しく身近に感じていたかったのだろう。終曲⑪での震えるようなアルト・サックスはどうだろう。音楽の女神が技巧ではなく、たどたどしい演奏に微笑んだ瞬間の記録である(ST・小尾隆)>

[目]
販売中止となったリマスター・紙ジャケ・初回限定シリーズの第3弾予定のアルバムだったため、手に入れるには、これまた廃盤となっていた(?)リマスター輸入盤の中古品を¥3500ほど出して買う羽目になりました。
さて、サウンドの方は完全に前作の延長線上と言って良いでしょう。ソウル・ミュージックというよりはポピュラー・ミュージックという佇まいで、より完成度も上がりどこか貫禄が増したようにも思います。そして、貫禄が増した分、余裕すら感じます。
そして、力作でありながらも、どこか心に引っ掛からない前作でしたが、本作にはどこか惹かれるものがあります。それが何かよくわからないのですが、おそらく本作には前作にはない軽やかさがあるからだと思います。
ただ、いかにも「80年代風の大人の音楽」という感じがギリギリのところである。
それにしても、人間はこうも急激に老けるかという写真を思い切ってジャケットにわざわざ使ってきたな、と思います。魂の彷徨という精神的負担となる苦闘の日々を長年過ごすと一気に老化が進むのかどうかわかりませんが、これからは音楽だけ勝負するという決意なのかもしれません。

ヴァン.jpg

個人的評価 ★★★☆

「Irish Heartbeat~アイリッシュ・ハートビート(1988年)」

アイリッシュハートビート.jpg

<アイルランド屈指のトラディショナル・バンド、チーフタンズとモリソンが正面から組み合った88年のアルバム。もちろんモリソンの歌の背景には、どんなときでもアイルランドの伝統が脈々と息づいているけれど、あからさまな形でそうしたものに向き合ったことはなかった。そうした積年の課題の素晴らしい回答ともなっているのが本作である。
「時の流れへ」で発表したタイトル・ナンバーのA2(②)とB3(⑧)だけがモリソンのオリジナルで、あとはトラッド・ナンバーをアレンジしたものばかり。そしてヴォーカルもモリソンだけじゃなくチーフタンズのメンバーがリードをとったものや、メアリー・ブラックなどバッキング・コーラスが活躍するものも目立つ。しかし、全体から伝わってくるのは、あくまでもモリソンの肉体を通過した強烈なアイルランドという土地の香りなのだ。
A4(④)やB2(⑥)で聞ける黒人音楽的な意味とも微妙に違うディープでソウルフルなヴォーカル、B3(⑦)で聞かせる変形しきったスキャットのようなフレージングなど、彼が心からこのプロジェクトを楽しんでいるのが伝わってくる。
またチーフタンズも単独のアルバムではありえないリズムの表情やニュアンスの豊かさを聞かせてくれ、心に残る。“枯れる”というと年寄りくさいし淋しい気がするが、大きな魂が大地に還っていく風景を見ているような気分にさせてくれる作品だ(RC・大鷹俊一)>
<アイルランドの伝承音楽を伝えるチーフタンズと相まみえた念願のコラボレーション作だ。ダブリンのウィンドミル・レーン・スタジオで行われたセッションにはメアリー・ブラックやジューン・ボイスもコーラスに加わり、パディ・モロニーによるイーリアン・パイプやティン・ホイッスルの哀愁漂う響きとともに、ヴァンのなかに眠っていたアイリッシュネスを後押しする。全編に音楽する心が詰まった温故知新盤(ST・小尾)>

[目]
ヴァン・モリソン&ザ・チーフタンズ名義で発表された正真正銘の異色作であるため、何ともレビューしにくいアルバムです。
ヴァンの作品は、これまでのアルバムに収録された「アイリッシュ・ハートビート」「ケルティック・レイ」の2曲だけであり、これをザ・チーフタンズと共に再録していて、残りはすべてアイルランド民謡です(もちろん、ヴァン風に仕上げている曲もありますが)。
これまで、アイリッシュ・テイストを取り入れてきたヴァンだけにいつかは作る必要性を感じていたかもしれませんし、前作が時代の潮流に乗った(?)サウンドを持つアルバムだっただけに、自らの根底に流れるルーツに向き合う必要があったのかもしれません。
本作は、一言で言うなら、トラッド好きならたまらないだろうし、そうでない人にとっては大して聴く気も起きないアルバムであるかもしれない。
僕は、ジャズ・テイストなどを融合したような音楽は好きですが、本格的にジャズは聴きません。
僕にとって、本作はそういうアルバムです。
あ、ちなみに本作は88年発表時の国内盤を苦労して手に入れましたが、日本語対訳なしでした…。

個人的評価 ★☆


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