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ヴァン・モリソン~Van Morrison ディスコグラフィー おまけ [Van Morrison]

ヴァン・モリソン ディスコグラフィー
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<何の知識もなく聞いてすぐに楽しめるのが、ポップ・ミュージックの本来の姿かもしれない。でも、イヤな良い方になるが、いろいろと蓄積しなければわからないポップ・ミュージックも絶対にあるのだ。最初から高価なビンテージ・ワインを飲んでも猫に小判なように、モリソンの珠玉の表現もそういうもの。いろいろな経験を積んでこそ、より真価が見えてきて輝きだすポップ・ミュージックもある(佐藤英輔・「マジック・タイム」日本盤解説より)>

これを読んでいて、僕は昔のストーンズのアルバムに載っていた渋谷陽一の解説を思い出しました。
言うには、ビートルズの音楽の良さは先天的な感性で理解できるけど、ストーンズの音楽の良さは後天的な感性が養われないとわからないというもの。
彼が学生の頃、音楽ファンはビートルズ派とストーンズ派とに分かれていて、ビートルズ派の彼はストーンズ派を小馬鹿にしていたのですが、「内心はストーンズ派の感性を恐れていた」というようなことを言っていました。
極端に言えば、楽器も何もない時代は音が出るだけで、凄い!と驚くわけです。
バンド演奏を初めて聞けば、それだけで衝撃的なわけです。
ただ、いろんな音楽を聴いていると、感性が磨がれ、本物だけを見つけることができるようになるのです(もちろん、嗜好は人それぞれですが)。

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<かつて「オーディナリー・ライフ(Hymns To The Silence)」が、「モリソンは同じことを繰り返しているに過ぎない」とイギリスの評論家達に非難された時に、彼の支持派の一人は
モリソンは弧を描きながら、自らの心を捉えて離さない思いを再度、述べているのだ。しかも、その弧はどんどん中心点に近づいている
と擁護したという(「ジョニー・ローガン著「魂の道のり」)。何と上手い弁護だろう、と感心してしまったが、この記述は、そのまま本作にも当てはまる。つまり、ポリドールに移籍してからのヴァン・モリソンは、ずっと弧を描きながらほんの少しずつ中心点に近づいているわけで、その意味ではまさしく円熟という表現が適切だと思う。
モリソンは93年のインタヴューで、こういうやり取りをしている。
Q:最近は、世間の予想通りのレコードを作るようになったという気はしませんか?
A:いや、私はやれるだけのことをやっているだけだし、それで私には精一杯だ。“私はただの男、最善を尽くしているだけ”って歌にある通りで、私の現状からしたら、これは今の時点で私にできるベストなんだよ。今の私に浮かんでくるものはこれだという、それだけの話だ。それに、これを大いに喜んでくれてる人がたくさんいて、応援してくれているから私はハッピーなんだし、それが一番じゃないか。(森田敏文・「デイズ・ライク・ディス」日本盤解説より>

はい、以前、僕は「最近の彼は90年代以降のプリンス、あるいは80年代以降のスティーヴィー・ワンダーのように高品質ではあるけれど、大体予想のつく、しかも何かが足りないアルバムを作るようになった」というようなことを書きましたが…と思っていたら、記述をいつの間にか修正していました(追記:と思ったら「アヴァロン・サンセット」のレビューに残っていました)。
ただ、それと同じようなことを思う評論家もいたということでしょう。
ちなみに僕は「デイズ・ライク・ディス」をレンタルで済ませていたのですが、安価だったため中古盤を手に入れて、こうした解説を読んで納得したのです。
そして、ヴァンのスタンスも僕が何となく予想していたのと似ている気がします。つまり、90年代初頭のヒットが彼に自信を与え、より好きに音楽活動ができるようになったということでしょう。

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